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あなたはどこで何をしていましたか

9年前の今日。
12歳、小学6年生の自分はいつも通り学校にいた。


「東北で地震があった。」と知らされ、何故か校庭に集められ、引き取り訓練で行っていた手順で、親が迎えに来て帰宅する形がとられた。

東北で地震があったのに、なんで訓練の時みたいに帰るの?と全く状況を掴めなかった。
今思えば、当時の先生たちも、何かいつもと様子が違ったような。

「津波が来るかも。」
小学6年にもなれば、自分の住む四国が、地震が発生した東北が、日本のどこにあるのかくらいはわかっていた。

そこにも、疑問を感じ、12の僕は、さらに状況を掴むことができなかった。
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家に帰るまでは。


テレビをつけると、衝撃の映像が流れていた。
どのチャンネルに切り替えても、そのニュースで普段は落ち着いているはずのニュースキャスターまでも、冷静ではなかったように思えた。

車が、家が、木が流れていく。

その映像と共に、聞こえる悲鳴。

胸が苦しくなった。


ようやく、事の重大さに気づいた。


あの時、僕が思ったこと。

仕事から帰ってきた母は、「うわ。」とそれ以上の言葉を発さなかった。
自分も、何度も何度も流れる映像に、衝撃を受け、言葉が出なかった。

日が経ち、募金に関するプリントが学校で配られた。
家に持ち帰り、幼いながらも、文章を読む。

数日経ってもなお、ニュースは地震や津波に関して。

こんなにも大変な災害が起きているのに、自分は募金しかできないのか。

自分の無力さに、小6ながら痛感した。
「募金しかできんのかな、何か他にできることってないんかな」
実家のすぐ裏に住む祖母にこう伝えたのを覚えている。
その時の自分は無力さに加え、悔しさも覚えた。泣きたくなった。

どこがどう被害に遭っていて、など詳しく理解できていたわけではない。
だが、わからないながらも、抱く感情があった。

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僕には、震災の4か月前、12月にサッカーを通じてできた友達がいた。
彼らは東北地域の代表として来ていた。

東京で開かれたサッカークリニック。

1週間も2週間もの時間を共に過ごしたわけではない。
2泊3日程度。

でも、そこでできた友達を思い出した。
連絡先を聞いていなかった自分は、連絡を取ろうにも取れない状況。
どうか無事であってくれと、そう思うことしかできなかった。
怒りを抱いた。
そして、連絡先を聞いてなかった自分を責めた。

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今の僕に何ができるだろう。

どうもがいても、嘆いても、もうあの日に戻ることはできない。

今日こうして、noteに思いを綴れること。
仲間と共にボールを蹴れること。
朝、目覚めることができること。

これらの事が、決して当たり前ではないということを感じる。
感謝感謝と言いつつも、本当にできているのだろうか。
喜びを噛みしめて生きているだろうか。

今、辛い悩みを抱えている人もいるだろう。
充実した幸せな日々を送っている人もいるだろう。
どんな1日でも、今日という1日は、誰かが生きたかった1日でもあるということを忘れてはならない。

今を全力で生きなければならない使命が僕にはある。


「あの日を忘れない。」




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