自分−サッカー【vol.276】
×(かける)の次は−(引いて)みよう。
ざっと18年目
随分長いことボールを蹴って追っかけてきた。
そこから得たものは、サッカーの技術だけではない。
礼儀も、諦めないことの大切さも、コミュニケーションの取り方も、仲間も。
いろんなものを得た。
18年間で習得したものを上げれば、ここには到底書ききれないほどだ。
−引く−
あえて引く。
自分からサッカーを引くと何が残るのか。
自分×サッカーだった。何も残んねぇ!
やっぱサッカーってかけがえのないもので最高だよな!
あいにく、僕はこんなことを言うために書いているのではない。
大学まで部活でサッカーを続けた人は1度は考えたことがあるのではないだろうか。
勿論、長い間何かに打ち込んできている人もこれに当てはまるだろう。
自分からそれ(サッカー)を除けたら。
残るもの
確かに。
サッカーで得たものはさっきも言ったように計り知れない。
その記憶、経験全部を消すとなると、本当に何も残らないかもしれない。(笑)
サッカーがあったから友達ができて、サッカーがあったから進路をそこにしてって考えも少なからずあるから。
ここでは、今、自分がサッカーをプレーしなくなったらの話。
自分の場合、このnoteは財産になるのかもしれない。
1日1個だけど、何かしら自分の考え、思いはここに残してきた。
自分の頭の中の一部はnoteに記録されているといってもいいだろう。
勿論、何書いたか忘れてることもある。
だからこそ、価値があると思っている。
考えの幅も深さも。
もっと追求する必要があるけどね。
価値
自分ひとり、人としての価値は何なのか。
思考力、言語化力、発信力?
まだまだ明確ではない。
しかし、サッカーを自分からとった時、
プレーをしない自分になった時、
ピッチ内での価値でもなく、チーム内での価値でもなく、
社会的価値が見えてくるのだと思う。
凄くありきたりな問いで、ありきたりの考えだけど、そこをもっと、もっともっと磨き明確にしていこうと思う。
何かを頑張っている皆さん、
あえてそれを自分の中から引いて(隠して)みたとき、何が残りますか?
fin.
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