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経験から得られる価値は決まっていない。自分が生み出すのだ!!!

自分がやりたくないことをやる時、
「これをやって意味があるのか」と思ったことはないだろうか。

少なくとも自分は、こういった経験がある。

必ずやらなければならないことなのに、やらない自分を作り出し、やる意味を問い、言い訳を見つけ、否定する自分自身を肯定する。

果たして、その姿勢での取り組みこそに意味はあるのだろうか。


この回のnoteでも書かせてもらったが、最近大学で興味のある分野の講義が多く、意欲的に取り組めている。
その時の姿勢を考えると、自然と身の回りのことに置き換えて学んでいることがわかった。

しかし、これは自分の興味のある分野だから、いたって普通の現象だと思う。

何のためにやるのか、何の意味があるのか。

この思考は、ある物事を行うことで得られる報酬(またはその価値)によって、やるかやらないか判断しているように感じる。

その思考でこの先ずっと生きていくのは、面白くない気がする。


意味や価値を意識して取り組むことは非常に大切なことだ。
ただ、それを姿勢によって見出すことも大切だと思う。

全てが、自分の見聞きし考えた報酬が得られるわけでもない。
実際取り組んでみることで、新たな発見があるかもしれない。
勿論、案の定、思うようにいかなかったということもあるかもしれないが、それも自分が経験することによって得た非常に大切な報酬である。

想像もつかないからこそ挑戦する価値はある。

こう考えれば、その物事が自分にとってマイナスのイメージをもたらしていたとしても、やってみる価値は十分にあると思う。

また、自分の中で決めつけた固定観念を取り払って、
意味や価値を創造していくのだという姿勢が大事だと思う。

今、大学3年の後半に差し掛かり、この時点で、拒んできた(嫌々取り組んでしまった)物事にいくつもの後悔が残っている。

心の持ち方も含め、取り組む姿勢一つでその経験から得られる報酬は輝きを増す。

自分が行動を選択する中で優先順位をつけることは重要。
そしてその中で選択した、自分が取り組むことは、どんな些細なことであろうと、意味あるものにしていきたい。

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