「人間」はちゃんと、失敗するようにできている。
おはようございます、池田です。
先月、ゲストとして「Dooo」に出演して頂いた、木ノ戸昌幸さんから頂いたのがこちらの冊子・・・
”福祉”を揺らすSwingのフリーペーパー「Swinging」Vol.23
この中に「ケツの穴の小ささについて」という文章があるので、その一部をご紹介させて頂きたい。
オーストラリアの巨大岩石「ウルル」(エアーズロック)は「世界のヘソ」と言われている。じゃあ「世界のケツの穴」はどこなのだろう。分からない。分からないが何となく最近、世界のケツの穴が小さくなってきているな・・・と思うことが多い。それはもちろんいい感じではなく、非常に息苦しい、居心地の悪い感覚である。
(中略)
目の前にあるのは常に歴史上はじめての風景であるはずなのに、「善」か「悪」か、「公」か「私」か、すぐに白黒をつけたがる風潮が蔓延している。個人による殺人は圧倒的な悪であるのに、国家による大量殺戮は正当化されたりする、そういうデタラメな世界に僕たちは生きているというのに。テレビをつければ一度の失敗を犯してしまった人への大バッシングが執拗に報じられている。問題をこれでもか!と拡大化し、問答無用の正義によって、問答無用の悪を、問答無用に押し潰さんとする光景には、「自分も失敗するかもしれない」という想像力の欠如というより、「失敗すること」に対する過大な恐れが満ち満ちているように見える。
何を見て、木ノ戸さんがこの文章を書かれたのか・・・裏表紙には2017年12月10日発行と書かれていたが、「アノ話?」「コッチの話?」「いやソッチの話かも?」・・・いくつもの「ニュース?」が浮かんでは消えた。
いずれにせよ、そこにあるのは「人間」という不完全な器の度量を遥かに超えた、「失敗は許されない」という誇大妄想であり、大いなる勘違いである。
違う。「人間」はちゃんと、失敗するようにできている。
私自身、数えきれないほどの「失敗」をし、そのたびに多くの事を学んできた。木ノ戸さんの言葉が続く・・・
「ケツの穴の小ささ」とは、他者に対する、ひいては自分自身に対する不寛容さと言い換えることはできまいか。スマホの充電ごときで誰かが死ぬわけでもないし、誰かの一度や二度の失敗が、世界を破滅させたりはしないだろう。安易に振りかざすケツの穴の小さい正義や正論は、結果的に自分自身の首を絞めてゆくことになる。
ある出来事を、どの程度、どのように報道するのか・・・そこには報道機関としての「矜持」が求められる。
権力者や、多数派の意見は広がりやすく、社会がその色「一色」に染まっているかのように錯覚することすらある。しかし、報道機関はどんな時でも少数派の意見にも耳を傾けて、本当に「その色」で良いのか、問いかけるのが仕事だ。・・・この文章を読んで、改めてテレビ報道の在り方が今のままで良いのか考え、行動しなければならない状況にきていると感じた。
すぐには変えられないかもしれないけれど、報道機関にいる1人として、真剣に「ケツの穴の小ささ」について向き合い、変えていきたい。窓の外の葉桜を見ながら、ふとそんなことを思った。
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