「生シェイク祭りは革新を生む装置」千葉から世界へ、宇宙まで届く酪農を考える【須藤牧場】
日本の酪農発祥の地である、千葉県南房総地域。房総半島の南部に位置する館山市の温暖な土地で、大正時代から約100年に渡る歴史を持つ須藤牧場の四代目である須藤健太さん。この牧場を起点に始まる数々のプロジェクトについて「全ては地域共生」。起きた課題に応え続けてきた、牧場と地域の「歴史であり、現在そして未来になる」と語る。
今年、賞もとり各所から注目を集めるメタンガス低減チャレンジ牛乳、地元だけでなく全国に広がりを見せる生シェイク祭り、毎年80校を超える酪農体験受け入れ、そして家族経営から法人化した理由。ーーアグレッシブにも映る活動は地域共生という代々、須藤牧場が大切にしてきた目的のため。この数年の世界規模での大きな変化と共に、もっと遠く酪農の起こった1万年前を思考し、100年後そして1万年後の酪農を考える須藤牧場のチャレンジを聞いた。
地域に応えること、健全にあること。須藤牧場が考える地域共生
「牛はこっちから近づいたり、触ろうとするとダメなんです」
放牧場への通路に佇む一頭の牛、その近くでスッとしゃがんで穏やかに話を始めた健太さん。しばらくすると牛が近寄ってきて腕を舐め始める。
「向こうから来て、こうやって毛繕いをしてくれているんですね。仲間ということで。でもこっちから手を出して触ろうとすると、ほら、避けられてしまいます」
手をかわして牛舎へと戻っていく牛。放牧場もあるが、壁がなく開放的なフリーストール牛舎というスタイルは、牛たちは繋がれず自由に歩き回る。牛は1日に6kmほど歩く習性が備わっているので、自然とストレスなく力をつけていく。そして風通しがよく糞尿も掃除しやすいので臭いや衛生面もクリアできるのだという。牛舎の外側では、酪農体験にやってきた小学生たちが歓声を上げている。
「フリーストール牛舎も酪農体験の受け入れも父母の代からですが、なぜ始めたかというと、それぞれ時代や地域の要請や課題があったから、ですね。イメージで言うと要請があるから対応する、問題が起きてマイナスになるかもしれない所をゼロの位置に戻す。アクションを“起こす”カロリーの高い行動というより、健全な状態を保つための工夫をした結果です」
小学校から高校までを対象とした酪農体験受け入れは年間に80校ほど、多い時には1日で200人の生徒たちが訪れる。観光向けの酪農体験とは違い「酪農とは何か」「地域との共生とは何か」をしっかり話し合い、理解してもらう。
「元々、近所の子どもたちがぷらっと遊びに来ていたんです。で、もっとちゃんと中まで見たいとか、何があるのかを知りたいと言われて学校の体験を受け入れるようになりました。酪農と地域共生を学んで、その上で乳搾りをして牛乳を飲んだり、ソフトクリームを食べたり。
…そんな体験受け入れを30年ほどやっていると、そのソフトクリームを食べたいという声が出てくる。それならばと、父と母は街中にお店を出しました。地域との関わりをもっと持ちたい、消費者と関わる手札を増やしたい。需要を大切にしてきたんだと思うんですね」
環境問題への対応も根本は同じだ。
フリーストール牛舎は、「牛を自由に歩かせ健康に」という目的よりも「悪臭が問題になる糞尿を集めて堆肥を作った」。それで餌の飼い葉を育て海外からの輸入飼料を減らしたら様々なリスクを低減できた、また循環型酪農へと繋げ環境への負荷も低減できた。
「循環型酪農も、メタンガス低減チャレンジ牛乳もですが。今ことさらCSRとかSDGsとかがクローズアップされますが“ビジネスとか環境に良いからやろう”と言うよりも、今やらなければ今後の酪農が継続できなくなる、と言う根本があるんです。地域や酪農や事業の課題が起こり、今それをやるべき時期なので取り組んでいるという考え方です」
環境問題への物差しの精度に「チャレンジ」し続ける牛乳
メタンガス低減チャレンジ牛乳は、今年千葉県による「ちばの逸品」で審査員特別賞を受賞した。世界的に問題になっている温暖化の要因として、牛のゲップから発されるメタンガスがあると言われている点に着目し、メタンガスの低減が期待されるアマニ油脂肪酸カルシウムという成分を配合した飼料で育てている牛たちの牛乳だ。
「元々はメタンガス抑制に関する研究成果の資料を読み、独学で始めたんです。その取り組みがニュースなどで注目いただき、環境負荷低減の事業を計画している方からお声がけをいただいたりはしています。ただ、現時点では“チャレンジをしている”牛乳であり、環境配慮の商品だと特に謳ってはいません。実際どれだけ低減になるかを測る物差しの精度や技術が確立しておらず、伝え方を整えているところで。だからチャレンジ牛乳、なんです」
環境問題に限らず世界の基準を測る「物差し」は科学技術の進化とともに精度は上がり、これまで見えなかった問題が可視化されていく。問題ではなかったことが課題として立ちはだかる。それに対処していくことに必須になるのが、健太さんのいう「地域共生」のためのもうひとつのテーマ「伝統と革新」につながることになる。
地域共生の旗印「生シェイク祭り」は、革新を生む装置に
須藤牧場はそれまで100年以上続けてきた家族経営から2014年に法人化し、生産中心の経営から製造販売の強化に乗り出した。一般的に法人化をすることで有利になるのは、資金を集める方法や手段が増えることにある。農業は国や社会からの保障が手厚く、融資も受けやすいため家族経営のままであることが多いのだという。
「父母がやってきた体験受け入れや店舗出店などの話に触れましたが、須藤牧場の地域共生という地域との関わり方が新たな事業を生んで、いわゆる伝統と革新という形になっていきました。地域の課題を解決していかないと僕らも成り立たないという立場から始まったことなんです」
須藤牧場の人気商品「生シェイク」という人気の飲料を旗印とした「生シェイク祭り」は今年で5回目になるが、これも革新の手札のひとつだ。今年は千葉県全域で86店舗が参加、2021年から続く淡路島での同時開催、また東京、札幌、全国の酪農地域。ゆくゆくは海外での開催予定もある。
「元々、生シェイクは残ったソフトクリームを牛乳で割ったまかないだったのですがポテンシャルは高いなと。めっちゃおいしいし(笑)。そんな中、館山の個人店の多くが観光客が増える夏場に売り上げが伸びてないと聞いたんですね。本当に素敵なお店ばかりなのに、個人店のため魅力が知られていなかった。その魅力を伝える活動、同時にその活動にかかる資金を集める仕組みを作らなければ継続していけない。だから須藤牧場の生シェイク専用アイスを使用してもらう形で祭りを始めたんです」
祭りの反響は、須藤牧場の直営店舗でも生シェイクの売り上げの割合が倍になり、そして年々参加店舗が倍々で増えていったことからも明らかだった。数多くの参加店舗や関わる人が増えていくことで、須藤牧場の「革新」も加速していく。
「酪農家だけじゃ解決できないことが、一緒に取り組む仲間が増えることで解決できる可能性が上がります。だって厚焼き玉子生シェイク、とか僕ら考えつかないです(笑)。お寿司屋さんが作ったんです。あとは日本酒生シェイク。日本酒のお店が考案したもので、どのお酒でも生シェイクにしてくれて一番牛乳にあう日本酒がわかったそうです」
生シェイクに限らず、やってみて多くの人に出会ってようやくインパクトある革新に辿り着ける可能性が上がる。「酪農の現状はデータから誰でも分かるけど、今後の世界の酪農の“答え”は誰も持っていない」その答えになるインパクト、突然変異をより多くの試行から発現するのを待つ、健太さんは積極的に待つ。
地域の100年、150年、もっと1万年や2億年。過去と未来を同時に考えること
高校を卒業してすぐ北海道の牧場に2年半修行に行き、20歳で須藤牧場に入った健太さんは、いわゆるビジネスの視点について外で学ぶ経験はなかったという。
「父と母が、たくさん賞をとってきていたこともあるんですが、僕自身がコンテストやイベントに出ることが好きだったんですね。酪農以外の人の視点を知り、評価やニーズがわかる。須藤牧場の強みってなんだろう、何が必要とされているのかを今や未来に向けて逆算して考えるのが好きな性分だったということです」
その探究心は、超長期的な視点で酪農を考えるという遠い過去からの「伝統」と遠い未来に向けての「革新」へと、その話題と興味を広げていく。
「地域のことを考えなくても、突発的に資本主義的にお金を儲けることは30年や40年ならできます。でも、僕らは地域と生きることを考えてきました。最初の地域共生は、1万年前に酪農から生まれたんだと思います、最初は牛じゃなくヤギだけれど。それまでヤギを殺して食べていた人間がそのミルクをもらって飲むことを始めた。ヤギを資本として利子で生活できるようになったから、その土地に根を下ろし開発をして豊かに暮らしていけるようになった。地域と共に生きることを、僕らは1万年前から続けているんです」
館山は、酪農発祥の地という歴史的背景もある。江戸幕府八代将軍の徳川吉宗がこの土地に牛を連れてきたことが始まりだ。そして、江戸後期になって岩本正倫(いわもとまさのり)という幕府役人の侍が、この土地で白牛酪という生乳を煮詰めた今でいうキャラメルのような乳製品を作り、江戸に広めた。理由のひとつに、“地域を地域で自立し成り立たせよう”ということがあったのでは、と健太さんは続ける。
「江戸時代、武士と農民といった階級の世の中で、地域で作った作物は飢饉が起きても税収として持っていかれ、地域で自立なんかできなかった。その中で岩本正倫というお侍が吉宗公時代の白牛で酪農を、地域の自立のために発展させたんです。
その後、一般の日本人が牛乳を飲み始めたのは今から約150年前になります。だから150年後に牛乳が飲まれなくなっても全く不思議じゃないんですよね。そしてもし酪農が仕事としてなくなっても技術や文化、もしくは物語として残って新しいものを生むんです。これまでの人間の進化みたいに」
「その150年後よりもっと遠く、1万年後や哺乳類が生まれた2億年前も、僕は考えながらこの先の酪農という地域共生を楽しみたいです。牛乳が人に飲まれなくなったら、今後はもしかしたらデジタルヒューマンが酪農を楽しむかも知れない。あと火星での酪農を、僕は結構本気で考えますよ、これこそ開拓です(笑)。
今は火星までの航路は2年かかり、その間はコールドスリープで過ごす考えが主流ですが、することがなく退屈だから眠るんですね。牛が一緒にいたらチーズを作れるし、日々の食事の楽しみが作れる。地球で生まれた仔牛が到着する頃にお母さん牛になってミルクを生み出せる。日々の変化と創造があれば人は新たに火星航路で酪農を始める未来があるかも知れません」
少年の笑顔で宇宙への夢を話し、健太さんは「ドラえもん世代だから、かも知れませんね」と少し照れて笑った。また牛が近づいてきて、じっと待つ健太さん。もしかしたら地域共生の課題や人と出会って時が来ることを待つ、その姿勢は牛たちとの関わり方から生まれたのではないですか?
そう聞くと「小さい時から牛といましたから、あるかも知れません」と、頬を寄せてくるお母さん牛を見つめ返した。