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季節を溶かして食べていけ

安心安全なはずの自室のなかで、無言で体育座りしているのには理由がある。乱雑に散らばった過去たちにじっと見張られ、身動きが取れないのだ。手を伸ばせばあの日の手紙にぶつかり、足を崩せば昔の栄光に申し訳なくなり、ちらりと目を向けた先では新旧の服たちが顔合わせて場所を取り合っている。

学生時代を丸々過ごしたこの部屋に、私が戻るのはこれで二度目だ。人生の転機には引っ越しが付き物だが、私の場合は早々に新しい場所を見つけることを諦めて、毎度ここに戻ってきている。二度目の「ふりだしにもどる」マスを踏んだのは、一年程前のことだ。

その二度目のチャンスで、しかも一年経過した今になって、この部屋はベッド付きの物置と化しているということにようやく気がついた。働いているときは忙しく、働いていないときは何もしたくなかった。そうしてだらだら過ごすことは典型的だと願いたいが、根本原因が私の怠惰さにあることは明白だ。

我が家は広く、日中は家族もここにはいないので、快適なリビングルームでたいていの時間を過ごしているから、何の不都合もない。しかし、有り余る時間で自室を見ていたら、あまりにも酷く、これはと思い、重すぎる体を起こした。

私は勉強が好きだった。教科書も資料も全部取ってあり、自分で作ったプリントやノートも自画自賛だがあまりにも出来が良く、全部全部残っていた。でも、今の私は、と、手を止めてふと思う。

私は何をしているのだろう。このときに抱いていた信念は、どこへいったのだろう。途方もない考えが、心を湿らせる。何も成し遂げていない気持ちになった。

私は、するするといろいろなものを落としてきたのか。それとも、元々そんなものはなかったのか。なんだか落ち込んできてしまった。捨てるものは早めに捨てておく方が良い。

残しておくべきではないくだらない物もたくさんあった。恥ずかしいものもたくさんあった。大切なものも、もちろんあった。でも、やはり、早めに捨てたほうがいいものだらけだ。このままもし、私が死んだら、と、とんでもないことも想像する。万が一のときのために、私の手で消しておきたい。

温度が少し残っているような気がするけれど、もう何の影響も与えてくれないくらいで手放そう。なんだか過去は使い捨てカイロみたいだと思った。

翌週、私は思い立って、我が家に新しい仲間を迎えた。シュレッダーである。家庭用で小型だが、パワーは十分だ。紙もカードもCDも粉々にしてくれる。私は今、こいつが愛おしくて仕方ない。

彼は見かけによらずよく食べる。かと思いきや、突然おなかいっぱいになるし、頑張りすぎてときどき止まる。こうなると、私と彼は30分の休憩を余儀なくされる。これがワークライフバランスってやつかもしれない。

あと、彼はものすごくうるさい。他の音は何も聞こえなくなる。そこにいるのは黙り続ける私と、ひたすら破壊音を響かせる彼だけになる。やり方は荒いが、そう思うと憎めない。

過去の努力。むしゃむしゃむしゃ。
あの頃の写真。むしゃむしゃむしゃ。
馬鹿にされた記憶。むしゃむしゃむしゃ。
葛藤していた気持ち。むしゃむしゃむしゃ。

なにもかもを分け隔てなく、均一に崩していく。すべてを切り刻み、吸い込んでいく。彼は満たされるとずっしりと重くなり、私の重たい想いは軽くなる。

シュレッダーで切り刻んだゴミは、資源ゴミではなく、燃やすゴミに出すことになる。良いことも悪いことも誰の手にも渡らず、いつかは空に散っていき、どこともわからない場所に消えていく。

部屋と心に少しだけ余白が増えた。まだまだ世界は広そうだ。おや、もうすぐ30分経つ。彼が目覚めそうだ。

素直な感想、とても嬉しいです。 お茶代にします🍰☕️