金曜は冷めたコーヒーで目を覚ます

頭の中にぼんやりと浮かんだものを手探りでまとめて文章であらわそうというときには、自分は書くことに長けているのだと、念じるようにしてみるけれど、そう強く思ったところでお米が炊けているということは今晩もなく、現代っ子の顔をしたそれなりに年齢を重ねた女は、温度の低い指をなさけなくすべらせて高めの諸費用を空に投げ、その日も生きる時間をつないでいた。

私だけに音が聞こえる。こんばんはさようならと発する代わりに言葉になるようでならない声を出し、ついでにするりと外気を入れて、身体にまとわりついた空想を無理に追い出して、もうこれ以上ないくらいにしっかりと鍵を閉めた。

なにもないように見える家の中で、私は味のしないものを噛んでいる。噛んで、噛んで、噛むだけしかできない。

噛み終えるころ、お風呂が沸いたことを示す音楽がどこからともなく。なんてね、本当は当たり前にその音の住処はわかっている。けれども、どこからともなくと言いたいくらい、聞き流してしまいたくなる、配慮の欠けたメロディーが廊下を通り抜ける。その歩幅に少しだけ懐かしさを覚えたが、伝える人はいないので、洗いあがってそのままになったパジャマを吟味しているうちに、また、忘れてしまう。

あたたまった脳に浮かぶ本の、ページが少しだけふやけた。古い章が終われば新しい章が始まるなんて決まりごとじゃないし、こうなったらライターにすっかり任せて、いっそ燃やしてしまおうか。そうやって肩まで濡らして気づく、前髪の切り揃えどき。

(以前誰も読んでいなさそうなブログにて公開した文章を捨てきれないがために大幅に加筆修正を施して再掲 - 20190315)

素直な感想、とても嬉しいです。 お茶代にします🍰☕️