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理想と現実

ジブリ映画で何が好き?と聞かれたら、

\『おもひでぽろぽろ』/

と、答える。

当時小学3年生の私は、『おもひでぽろぽろ』の主人公 岡島タエ子ちゃん(小5)に憧れて同じ髪型をして登校したくらいだ。
しかし、同じ髪型で登校した日には同じクラスの男子に『でこはげ!』と悪口を飛ばされ、(七三分けで前髪をヘアピンでとめ、おでこ丸出しスタイルであった。)私の理想の世界は呆気なく崩れていったのをなんとなくだが覚えている。

それでもめげない子供の頃の私は、次の理想を探す

私は、子供の頃からよく真似をする子だった。
対象が身近ではなくテレビの中の人物というのが圧倒的に多く、
真似をしては自己満足を得て現実の世界を理想の世界に塗り替えて生きていた。
誰にも気づかれない様に、こっそりと。
だけど、誰かに気づいてほしいな。という期待も抱き、一人ドキドキしながら、過ごしていた。

大人になってからも、それは続いていたし今も頻繁では無いが誰かの真似をして自分を作り上げている。

だけど、あくまで理想は理想で、自分ではないのだ。

大人になると自分自身と向き合う場面が出てくる。
そんな時、ふっと立ち止まって考えてしまうことがある。
自分が自分じゃないみたいに振る舞っていることに気づいた時、非常に辛くなることがあった。

自分じゃない。

今自分がやりたいって言ってること、今自分が着ている服、メイク、持ち物、流行や、憧れちゃう様な人々の真似をして集めたものだと気づいた。
本当にそれ欲しかったやつ?
いや、違う。だれかが持っていたから。おしゃれに見えたから。

そんな自分がすごく嫌だ。

文章を書くことを続けようと思ったのは、こんなたゆたってばかりの自分がたどり着いた先だっただけであってこの先はどうなるのかわからない。飽きるかもしれない。

また流される自分がこわいけど、このブレブレな自分を正しい位置に戻してくれる文章に出会った時、また自分を取り戻す。
それをくり返してはこんどこそ流されないぞ。と、前に進んでいる状態だ。

でも、もしかして、流されっぱなしでもいいのかな。なんて思うこともある。

理想と現実の間でふわふわとしている自分は今のところ、まだこの調子で進んでいきそう。

これが自分!と振り切れた時、すごく開放感なんだろうな。



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