見出し画像

本当の意味での夢や目標の立て方を知らなかった頃の話

つまり、「本当に自分がやりたいこと」が見えていなかったって話。

何をやってもそれなりに楽しいんじゃないかと思っていた

けっこう本気で思ってたんですよね…
中学生や高校生の頃。
進路選択、結構迷ってたけど、私は職業訓練もなかったし、インターネットもISDN世代で何分いくらの世界だった上に情報もあまり充実してなかったから、情報源がなかった。
親はふたりともあまり友達とかいないタイプだったから、大人の意見もあまり聞くことができなかった。

詳しいことが聞けれなかったということは、
いい情報も入ってこないし、悪い情報も入ってこなくて笑
どんな仕事も、苦しいことはあるだろうし、きっと楽しめるよ♪くらいの楽観主義だった。

小学生の頃から大人たちが聞く「将来何になるの?」というのは、きまって「職業」を指していて、子供の私が知っている職業の名前なんてたかが知れていた。漫画やTVで出てくるような仕事くらいしか知らなかった。

画像1

親の提案をそのまま素直に受け入れた自分

そんな中、高校で進路に迷って親と話していた時
「保健師なら結婚してからも安泰だよ。」
と言われ、なんだそれ?
と調べると、看護師資格がないとなれない仕事なんだとか。
そもそも保健師の仕事内容を知ったとて、全然イメージができない内容ばかり羅列されていて、正直「ふ~ん」としか思えなかった。
ただ、医学系に進めば、家族の役には立てるし、お金に困ることもないだろう、安泰になるだろう、安泰を親は望んでいるし、その方が楽そうだ。
そんな現実的な理由で、
「まぁなってみるか!」
的なノリで決めてしまったのだ。

実はかっこいい女への憧れが、やたらあった

じゃあ、まったく自分の意志がなかったのか?というと、記憶の中ではわずかに残っているのが、「女社長になって赤いスポーツカー乗り回したい」だとか「スチュワーデスさんになりたい」的な、カッコいい女への憧れだった。
割とそのイメージにはワクワクしていた。
広い範囲を飛び回るという要素にもワクワクしていたと思う。

その時に言われた、親からの善意の言葉。
「社長はとっても大変だよ」
「スチュワーデスさんは英語がしゃべれないといけないよ」

それは、「こんな大変なことがあるんだよ」と教えられたにすぎないけれど、即座にそういわれると、「ダメなの?」「そんなに難しいことなの?」と思ってしまって、そのあと一度も夢だと主張することはなくなってしまった。

親のせいだと思っていた時期もあるけど、正直、自分の熱意なんてそんなもんだった。どうしてもそうなりたい!と思えるほどの根拠を持った夢にはまだ巡り合えていなかったんだと思う。

そっと心の中にしまったその夢は、実は心の中でずっと眠っていて、「そうなってもいいんだ!」と思った途端にはじけだしてしまったのだけど、それはもっと後の話。

画像2

大学選びの基準

そんな流れで、保健師を目指すことになった私は、必然的に必ず取らなくてはいけない資格である看護師資格をとるために、看護科のある学校を選ぶことになる。
専門学校では保健師資格がとれないので、県内外の4年生大学の看護科に進まなくてはいけないが、


「地元の大学行ってくれたら車買ってあげるよ」


なんていう親の言葉に、これまた私は素直に釣られ、
推薦枠の小論文と面接(超得意)で、ホイホイ地元の県立大学に進んだ私なのでした…笑


つづく♡


サポートしてくれても、してくれなくても、応援の気持ちが嬉しいです!😊