わたしは新しいを書き始めた

わたしはnoteを再開して、文章を書き始めた。

公開してからもえんえん推敲するよろしくない書き手だが、どう思われようと別にかまわないので元気に書いている。


そうしたら、ふと、これはエッセイじゃないほうが…つまり、頭の中をはしっている言葉そのままに形にするのではなく、別の形に加工したほうが、より自分の言いたいことを言えるのではないかという気がした(伝わるか、じゃなくて、言えるか)。

試してみた。その文章の「わたし」は、人間ではなかった。となるとたぶん、それは小説と言われるやつだろう。散文詩ではなかった。

まさか自分が小説を書く日がくるとは思わなかった。


わたしの憧れはアンソロジストであり、誠実な読み手になることであった。日本文学の研究者というのは頭ガチガチだとか、作家の人生を詮索するだけのやつらだとか、詩がわかってない、本質がわかってないとか、あるいは右巻きだとか、そんなふうに見なされることもあるらしいけど、わたしはわたしを取り巻く、感性と知性が重婚しているような人たち(彼らはたいていはちゃめちゃに多趣味で、様々な美への回路を持っているものだから、感性と知性の結婚では済まないのだ。)にあこがれた。

あえてお一人名前をだすならば、今は亡き管聡子先生に、研究という仕事がいかにクリエイティブなものであるか、まざまざと見せてもらった。高校生の頃の話だ。新古今和歌集、そして大岡信の仕事に触れて、アンソロジーというジャンルにのめり込んでいた頃。


今は大岡信も泉下の人、わたしは大岡信も、加藤周一も、飯島耕一も、黒田三郎もいない世界に住んでいる。世界はまっしろになってしまったようだ。


まっしろの世界で、決意だけは立派だったが、わたしはいっこう論文がかけなかった。

愛してやまない作品について書くと、わたしの名前がついてまわる。この完全な言語の世界に、こんなわたしの独自性、わたしの新規性、そんなものを混ぜないといけなくなる。それは苦痛を通り越して屈辱であり、この屈辱は想定外にわたしを無能にした。和歌をよむとき幸せだったのは、わたしがわたしである必要がなかったからだと、よくわかってしまった。まさか、自己肯定感の欠如に、こんなふうに足をとられるとは。


そして、こんなふうに再び文章を書き始めるなんてことも、まったく予想しなかった。文章を書くのが好きだった時期なんて、実はあまりない。わたしは文章を褒められることがわりあい多かったのだけれども、小中学校の頃の読書感想文なんて今からタイムスリップしてあの頃の自分から原稿用紙をもぎ取りたいくらいだ。あんなものを強制されていたなんて、わたし含む日本の子どもはなんてかわいそうに。高校生の頃も、自分は文章を書くのなんてきらいだ、きらいだ、と思い続けていた。

小説、詩、短歌、そういったものを自分で書きたいとも思ったことがなかった。わたしは論文が書きたかった。ほかの人のつくったものを大切に受け継いでいく、古池の中の置き石でありたかった。わたしは古本をよく買い、書き込み、蔵書印のあるような本を好むけれども、自分自身は中間所蔵者であるわたしの面影をなるべく残さないようにしている。わたしはいつも自分が死んだあとのことを意識していた。


でも、くやしいことに、生きていれば何かしら老廃物がたまっていく。心の中に受け取ったものがたまってゆけば、わたしは折り返さずにいられない。もらったボールをじっと持っていることができないで、わたしは雑感をどこかに書いて捨てた。そうしないと研究ができなかった。恥ずかしいことだった。

わたしは何度も自分をちぎって捨てた。それでもどうしても湧いて出てくるものたち。何度もどうやったらすっきり捨てられるか試し続けた。今、noteというプラットフォームに出会えて、ちょっと安心している。

以前は重くてもさもさして使いにくかった印象だったが、横書きなのに、びっくりするほど手書きの文章に近い感覚で書ける。ありがたい。わたしはここで安心してポイポイした。書いていくうちに、随想、日記、雑感、エッセイ、小説、そういった言葉がほどけ解体されていくのを感じ、ゆくりなく……今までに書いたことがないものを書き始めた。たぶん、小説と呼ばれるものだ。


もっとも、「小説を書く」と言ってしまったら、わたしはなにか別の文脈に捕まる。書店に行けばきっと小説の書き方めいたものがいっぱいあるだろうし(ずっとむかしによんだ保坂さんの面白かったけどね)、このnote内にも小説家になりたい人の言葉がごろごろとあるだろう。わたしは自分自身に忠実になるとともに、novelというジャンルのおおもとにたちかえることとして、「新しい」と呼んでみた。


新しく書いてみた試みは、予想外に、ずいぶん楽しかった。それが楽しみで他の雑事をがんばれてしまうくらいに。推敲しないで、途中までできたらすぐ公開した。それからまたちょっとずつ直し、続きを書く。


そうこうしているうち、欲が頭をもたげる。「これ新人賞とか出せないのかな?お金にできないかな?」そう、ほしいものはすべてお金だ。わたしは拝金主義者ではないので、お金のことを汚いとかさげすんだりしない。お金というのは別々の個をつなぐ道具である。その引き合わせ方はときに残酷で、ときに無上のうつくしさを持つ。わたしはお金をいっぱいほしい。そのお金でいっぱいいろいろなものに出会いたい。わたしの持つお金に、その幸せを感じさせてあげたい(この冬にDIC川村記念美術館で使ったお金は、それはそれは幸せだったのだ)。


だから書いていたものを非公開にした。新人賞に出すものは未発表原稿でないといけないから。一瞬でも発表してしまったわけだが、全体の数分の一にも満たない量だし、その後推敲して大部分を直したから、問題ないだろう。別に取れるとも思っていないし小説家にもなりたくないが、お金になるチャンスがあるならいかさなくてはね。

「下書き」にいっぱい文字がたまっているのは何だかちょっとうっとうしいが、まあ仕方がない。さっさと書きあげて送ってしまいたい。きっとこの体験は研究にも役に立ってくれると思う。


いや、でもどうだろう。ここnoteで公開しておいたほうがよいのかな、新人賞では、98点をとっても99点のライバルがいたら70点と同じになってしまうわけだ。そして何より、新人賞は最後まで残った作品しか人の目に触れない。お金がほしいのであれば、人の目にふれる機会を増やさなくてはならない。お金が個と個のあいだをとり結ぶものである、この認識の仕方は、わたしを起点として物事をみたときだけに当てはまるのではない。向こうから伸ばされた手がわたしにゆきつくことだってあるのだ。
誰かに見られること、見られるわたしを認めること。それは本来わたしにとってとても苦手なことだった-自分のことをどうしても恥じずにいられなくて、人目を避けてきたのだが、わたしは自分に何暗という名前を与えたことで、自由な足を手に入れた。もうここでならたくさん歩ける。

だからもう一度、書きかけたものを公開してゆくことにした。もし読んでくださる方がいらしたら、それは本当に望外の喜びです。そんな風に思えること自体が今までなかったことで、本当に、本当に嬉しい。

わたしがあなたのお金をまだ見たことのない場所につれていきます。試してみますか?