銀河英雄伝説の音楽世界-「わが赴くは星の大海」篇
【注意書き】
筆者の完全な主観が多く含まれます。その点はお含みおき下さいませ。
映画:銀河英雄伝説 わが赴くは星の大海
監督:石黒昇
制作:キティフィルム
封切日:1988年2月6日
上映時間:60分
今回は、映画:銀河英雄伝説 わが赴くは星の大海をレビューする。
銀河英雄伝説(以下、銀英伝と記載)は田中芳樹のSF小説である。ベストセラー小説の常としてコミカライズやアニメ化が行われており、「わが赴くは星の大海」は1988年から開始されたOVAシリーズの嚆矢となった劇場版アニメである。
銀英伝のOVAはシリーズを通して、BGMにクラシック音楽を使用したことで今も有名だが、今回はそのような製作手法を取った理由や映画で使用された音楽を中心にレビューを展開する。
銀河英雄伝説
銀英伝は1982~87年にかけて本編10巻、その他に1984~87年に外伝5巻が書き下ろしとしてトクマ・ノベルズ(徳間書店)から刊行された。
はるか遠い未来の銀河系を舞台に、覇権を争う銀河帝国と自由惑星同盟に出現するラインハルト・フォン・ローエングラムとヤン・ウェンリーの若き英雄を主軸としながら、並み居る将星たちの人物像や智謀を尽くした戦闘や政略をスペースオペラの体裁を借りて描かれた歴史小説である。
小説の絶大な人気を受け、徳間書店は銀英伝のアニメ化を企画する。当初はTVシリーズ用の企画として進められたが、原作に忠実に制作する考えの下、ビデオ作品(OVA)として通信販売するスタイルに変更した。そこで、TVアニメのパイロット版という位置づけで製作した「わが赴くは星の大海」を劇場版アニメとして1988年2月に公開する。劇場公開は通信販売の宣伝やプロモーションを兼ねていた。
「わが赴くは星の大海」は外伝1巻「星を砕く者」の終盤に当たる惑星レグニッツァ上空の戦いと第4次ティアマト会戦を描いている。時系列としては本編1巻「黎明篇」の冒頭―アスターテ会戦より1年前の戦役であり、まさに壮大な史劇の開幕を告げるストーリーになっている。
映像を彩るクラシック音楽
銀英伝をアニメ化するに当たり、徳間書店は当初から本編・外伝を全て網羅することを前提にしていた。完遂までに数十年越しの長期プロジェクトになることを見越して、アニメで使用するBGMを慣例と異なる方法で用意した。すなわち専門の作曲家を雇って用意するのではなく、J.S.バッハやベートーヴェン、チャイコフスキー、マーラーなど既存のクラシック音楽を使用することにしたのである。
「わが赴くは星の大海」では、以下の楽曲が使用されている。
マーラー《交響曲第3番ニ短調》より第1楽章
ショパン《ノクターン第9番》作品32-1
ニールセン《交響曲第4番「不滅」》より第4楽章
チャイコフスキー《白鳥の湖》より「白鳥たちの踊り」
ベートーヴェン《交響曲第3番変ホ長調「英雄」》より第4楽章
ベートーヴェン《ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」》より第2楽章
ラヴェル《ボレロ》
モーツァルト《クラリネット協奏曲イ長調》より第2楽章
マーラー《交響曲第3番ニ短調》より第6楽章
上記より1. 3. 7.以外の楽曲はドイツ・シャルプラッテンレコード(東独)の音源が使用された。徳間書店と同じ徳間グループの音楽部門会社―徳間ジャパンがドイツ・シャルプラッテンの音源を大量に持っていたために実現した製作手法だった。残りは井上道義&新日本フィルハーモニー交響楽団による演奏を新録した音源が使用されている。
新規でオーケストラを演奏した音源を使用した理由として、ドイツ・シャルプラッテンにラヴェルとニールセンの音源が少ない(もしくは音源が無かった)点が考えられる。レコード会社が東独の国営会社であるためか、ラインナップは独墺系かロシア音楽が中核を占めており、個人的にフランスや北欧系音楽は手薄な印象がある。さらに《ボレロ》は著作権によって使用料が発生し、使用料を払うなら新録した方がよいと判断したようである。個人的に映画をグレードアップする思惑や、製作当時(バブル期)ゆえの文化資産に対する潤沢な投資が少し感じられる。
宇宙に鳴り響く舞踏曲
本節では、劇場版アニメで新録音源が使用されたシーンや極私的名盤を紹介する。以降に説明する銀英伝のストーリーは劇場版やOVAに準じている。
【注意】
ここから先は原作小説、映画、OVAの重要な核に触れるため、未読や未聴で何も知りたくない方は読み飛ばしてもらいたい。
マーラー《交響曲第3番ニ短調》
第1楽章より冒頭、8本のホルンによる斉奏で第1主題が示される。背景が黒地から広大な銀河に変化しながら、ドイツ文字のキャプションが現れる。金管と打楽器による重々しい行進曲のリズムに合わせて、低弦が突き上げるような旋律を奏でる。屋良有作のナレーションが流れる。人間は血と知恵を費やして飽くなき戦乱を繰り返す愚を嘆き、現世を変えようと努力する人物を「英雄」と呼称する。ナレーションが終わり、オーケストラが叫びを上げた刹那にタイトルが現れる。
この曲ほど、壮大なスペースオペラの開幕を厳かに告げるに相応しいものはないだろう。無論、マーラーの交響曲と田中芳樹のSF小説の間に文脈を共有するものは微塵も存在しないが、この冒頭があたかも銀英伝のために作曲されたのではないか。アニメを観る度にそのような錯覚に陥ってしまう。
なお、この曲は劇場版の後に続く各話の冒頭に何度か使用している。OVA制作陣は銀英伝のテーマ曲という位置づけをしていたようである。
【極私的名盤】
ベルナルト・ハイティンク&ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(1983年クリスマス・マチネ)をおススメしたい。名門オーケストラの力強くも美しい響きを目いっぱいに引き出した指揮者の手腕が光る名演である。
ニールセン《交響曲第4番「不滅」》
序盤の山場に当たる惑星レグニッツァ上空における戦いで使用されている。不安的な大気に翻弄されながら、同盟軍と帝国軍に遭遇戦が勃発する。戦闘開始を第4楽章が告げる。一進一退の攻防が続く中、ラインハルトは惑星表面に核融合ミサイルを発射するよう命じる。第4楽章で有名な2群のティンパニによる競奏が繰り広げられる。ミサイルが可燃性ガスを爆発させ、その爆風によって同盟軍は大きな損害を被る。交響曲がフィナーレを迎えながら、ラインハルトはイゼルローン要塞への入港を命じる。
なお、このシーンは後にアムリッツァ星域会戦(OVA第1期第15話)でリフレインされる。ヤンは恒星アムリッツァに融合弾を投下するよう命じた際、「ローエングラム伯にいつぞやのお返しをしてやろう」と述べる。融合弾の爆発によって引き起こされたガスの上昇気流を利用して、同盟軍は帝国軍に反撃する。このシーンでも「不滅」第4楽章が使用されている。
【極私的名盤】
渡邉暁雄&東京都交響楽団(1976年ライブ)をおススメしたい。北欧系作曲家の解釈によくある清涼な雰囲気で曖昧に処理せずに、交響曲を太い筆致で隈取したように響かせながら、有機的な熱量で包み込んだ秀演である。
ラヴェル《ボレロ》
映画後半の第4次ティアマト会戦で使用されている。脚本の首藤剛志が「ボレロ(のような曲)をバックにした戦闘シーンを延々とやってみたい」と提案(※)し、実際に本物の楽曲を使用することになった。
単純ながら精緻なバレエ曲はラインハルトによる敵味方の意表を衝いた艦隊運動の一糸乱れぬ動きを表しているようでもあり、死力を尽くした艦隊戦がひたすら高揚を続けていく様は観ている内にカタルシスさえ感じさせる。とまれ、同盟軍の置かれた状況を鑑みれば、《ボレロ》の構造を引用しながら最後は破局を迎える楽曲-ショスタコーヴィチ《交響曲第7番ハ長調「レニングラード」》の第1楽章が相応しいだろう。
楽曲が大団円を迎える終盤、ヤン率いる囮艦隊は敵陣を突破しながら、ラインハルトが座乗する戦艦「ブリュンヒルト」の真下に戦艦「ユリシーズ」を寄せて停泊する。この展開はOVAのオリジナルだが、本編10巻「落日篇」のシヴァ星域会戦でユリヤン・ミンツと「薔薇の騎士」連隊が「ブリュンヒルト」に乗り込む場面を予告するシーンとして構成されていると思われる。
【極私的名盤】
シャルル・ミュンシュ&パリ管弦楽団(1968年)をおススメしたい。フランス風エスプリと一線を画して、本作の基になった舞踏曲を産んだスペインよろしく、全曲に情熱が横溢する名演に仕上がっている。
※ 黒澤明の映画「七人の侍」が脳裏に過ぎったのかもしれない。
【参考文献】
らいとすたっふ編「銀河英雄伝説」読本 徳間書店(1997年)
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