「祖国に命を捧げる覚悟を」は全体主義への道である
こんにちわこんばんわ。
全ての増税に反対し、全ての減税に賛成する自由人、七篠ひとり(@w4rZ1NTzltBKRwQ)です。
今日はこちらのニュースから。
「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」
「国に命を捧げるのは、大変勇気のあること」
以前、櫻井よしこ氏の「あなたは祖国のために戦えますか」発言についても批判記事を書きましたが
今度は首長である河村氏のこの発言。
本当にこの国の「保守」を自称する全体主義者は唾棄する存在でしかないですね。
名古屋で減税を実現しようがそれはそれ。これはこれ。
この「祖国のため命を捨てるのは道徳的行為」といった全体主義、または国家主義丸出しの思想を得意げに披露する政治家は「自由の敵」であり決して容認するべきではありません。
なぜ許してはいけないのか。
それはそれを許せば「祖国のために」が枕詞ならば全ての自由を手放すことも良しとすることになるからです。
「命」という個人のこれまでの人生と未来という尊いものを「祖国のために捨てろ」と言える政治家は、私たちの自由、権利、言論、行動すべてにおいても「祖国のためにそれを捨てろ」と言える政治家であり、それは同時に私たちのすべてが政府の管理下に置かれることへの容認でしかありません。
これこそまさに個人より国家利益を優先させる「全体主義」という権力思想であり、暗く苦しい統制社会の始まりでしょう。
このようなロシアや中国といった全体主義を批判しながら、自らが積極的に日本に全体主義を定着させようとしている「保守」を自称する政治家や言論人は「自由の敵」以外の何物でもないと私は思います。
国家の安全保障とは「国民の犠牲の上に政府を守ること」ではありません。
個人の安全と自由を守るためのものです。
「国を守る」とは、我が国に暮らす国民の生命、財産、そして自由と権利を他国の暴力から守ることであり、「祖国のために」とそれらを全て捨てることを国民に要求することでは決してないのです。
政治家なら
「私たちは国民の生命、財産、自由、権利を何があっても全力で守る」
と言うべきなのは当然のことなのです。
それをそうではなく河村市長のような「もし外交政策が失敗したら政府のために命を捧げるのが誇りある国民の姿」といった内容を平気で、かつそれが道徳的行為だとのたまう政治家の存在は、私たちにとって非常に大きな脅威となるでしょう。
「自由の敵」は他国ではなく、国内の全体主義者なのです。
自由な人と奴隷の違いは「自分の人生を自分で選択できるか」にあります。
主人の命令に従い生きることは「奴隷」でしかありません。
「政府のために人生を捧げろ」といった全体主義社会の中で奴隷として生きることをは私は絶対に容認しません。
減税新聞は今回の河村市長の発言に対し、最大限の軽蔑と共に厳重な抗議の意を表します。
ということで、今日はここまで。
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