tawara

絵描きです。 呼吸をするように作品を描いています。 作品のこと・ふと感じた事や日常の…

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絵描きです。 呼吸をするように作品を描いています。 作品のこと・ふと感じた事や日常のことをポツポツと。 インスタはtawarartでポストしてます。

最近の記事

それがいいんです。

誤解を恐れずに言うと、 ここ数年は何をするにしても“人のために”って思って行動しない事にしてます。 何かするときの原動力ってなんだろうと考える。 突き詰めていくと、結局は自分がどうしたいかで行動してるって事に気がついたから。 一つ例を挙げるとすると、 親のサポートをするのも親に倒れられたり怪我されたら自分が嫌だし悲しい気持ちになるから。 美化しようと思えばいくらでも簡単に親のため、人のためって置き換えていい話にできそうなことだし、そう言い続けていると自分もそうなんじゃないか

    • 今を生きようってあらためておもう。 人生は『今』の積み重ねだけでしかないのだ。

      • 幾つになっても

        理由もなく惹かれる空気感というものが一人一人にそれぞれある様に感じます。 わたしの場合はそれを自らの手で具現化できているだろうかと常に自問自答しつつも、 本能的に手が動くのをコントロールせずにとにかく描いてみる、つくってみる。 それを繰り返し繰り返しで少しずつ成長できている…と信じたい。 常に路の途中。生きるって事はそういうもんなのか、と時折途方に暮れたり開き直ってみたり。 歳を重ねたってそれは変わらず。それでいいんだと思う。

        • 私がnoteをはじめて4周年だそうです。頻度少ないながらも意外と続いてます。 こんなニッチなわたしの記事を読んでくださってる稀有なみなさん、どうもありがとうございます。 パッと出てきたタイミングの時しか言葉にできないので、流れに任せてマイペースに言語化していこうと思ってます。

        それがいいんです。

        • 今を生きようってあらためておもう。 人生は『今』の積み重ねだけでしかないのだ。

        • 幾つになっても

        • 私がnoteをはじめて4周年だそうです。頻度少ないながらも意外と続いてます。 こんなニッチなわたしの記事を読んでくださってる稀有なみなさん、どうもありがとうございます。 パッと出てきたタイミングの時しか言葉にできないので、流れに任せてマイペースに言語化していこうと思ってます。

          何にもならなくて良い

          ここ数日、ずっと 「何にもならなくっていいや〜🎶🙌」 って、根っこのわたしが連呼しながら小躍りしています。 ことのはじめはおそらく一昨年の出来事でしょうか。 一昨年の夏に思わぬ交通事故に遭って一旦全てにおいて強制的に休め!ってなってから、本当にちょっとずつちょっとずつ🤏本来の、のんびり性格だった自分がひょっこり顔を出し始めました。(それまでは、自分の理想とするものが強すぎて、それに向かって直走っていた感がありましたが本当に強制終了させられた感じでした) 私自身も『そうだった

          何にもならなくて良い

          備忘録

          自分がゼロから描いたり作ったりしたものを『作品』ではなく、『自分の手から作ったもん』という呼び方や認識に明確に切り替えてから 元々自分の中にあったものがようやく檻から解放された感覚が凄い…。 何を作ったって描いたって良い。作風だって一つじゃなくって良い。元々いろんなの作ってたんだから。 極端に言えば、生きてるだけで良い。何も作らなくったって良い。そんなシンプルなことなのに、『展示できる様な作品にしなきゃ』という思い込みや気負いが無意識にどこかで働いていたのかもしれない。 自

          近況。

          ずっと引っかかっていたこと。 自分の手からつくったもの・描いたものを“作品”と呼ぶことに対しての妙な違和感。 (なんだか仰々しい) 小さな頃から気付いたら既に常に手を動かして何か創ったり描いたりしていたので 特別なものでも崇高なものでもない、私にとって描いたりつくったりしたものは日常の気付きのカケラであります。 だから出来上がったものはシンプルに ただただ『つくったもん』『出来上がったもん』であって、それ以上持ち上げる必要も下げる必要もないんです。 もちろん日々何十年も

          空っぽの感覚

          note、ご無沙汰しております。 何かを発信する時って言語化して目に見える状態にしておく必要がありますが、 言葉や文章で表現/説明するには、今の私には少々難しい内面の変化が起こっていて、 どう伝えたら良いやら考えあぐねていたのです。 結局良い答えも出ぬままもう2024年、3月も半ば。 とにかく考える事を一旦放り投げて宙に浮かせて空っぽになっている状況です。 (夏休みの宿題の様にギリギリまで重い腰を上げられなかった確定申告は無事終えました。ホッ😌) 正確に言葉にできるかは自

          空っぽの感覚

          不思議な夢の話

          昨晩から起きる直前まで、不思議な夢を見ました。その時の話はちょっと自分で忘れないほうが良さそうな気がするので、自分自身への備忘録として書きとめておきます。 ************** 行ったこともない素敵な海の見える場所と行ったこともない素敵な山の見える場所に、 それぞれに素敵な人たちが自然と共におおらかに生活していて。 〇〇でなければならない、とかルールは全くないけれど、お互いを思いやり自分自身を大切にしながら暮らしている人たちばかり。 とにかくとてもおおらか。愛で溢れ

          不思議な夢の話

          土鍋で美味しいご飯が炊けた。そんなあたりまえのいつものことがとっても愛おしい。

          土鍋で美味しいご飯が炊けた。そんなあたりまえのいつものことがとっても愛おしい。

          やっぱりマル◯だった。

          昨年末から描き始めて、やっと完成しました。 無題 純楮紙に鉛筆 size 242×273mm いつも以上に塗り潰す面積が多かったので、 (怪我のこともあって腕の負担を極力無くす必要があって、力を入れて描かないようにしているため)ここまで色を濃くするのにちょっと時間がかかってしまいましたが。 体が資本。無理はしないと決めているので、(無理するとあとで痛むのがわかってるので)完全に回復するまでどのくらいかかるかわからないけれど、それまではゆるいペースです。 やっぱりマル◯

          やっぱりマル◯だった。

          作品製作<生活すること

          数年前からわたしの考えが少しシフトしてきています。 “絵描き”で在る前に(それもとても大事なのだけれど) 『生活すること』をわたしは大切に思う様になりました。その上で作品に向かっていこうという気持ちが若い頃より一層強くなっています。 若い頃は寝食忘れてキャンバスに向かって目の下にクマ作ってたり平気でしていて、どちらかというと作品製作の方が比重重めな感じでしたが、 今となっては若干本末転倒だったなあと思う様になって。 例えば崇高な仏像を彫り上げるより、日々のご飯を毎日最高に

          作品製作<生活すること

          1月の備忘録

          ふと突然かの様にやって来る言葉に耳を傾けてみる。 流れに任せつつフラットな視点で直感に従って速やかにスルッと動くのと、 何かに急かされる感覚を持ちながら頭だけで考えて自分でハンドル切ってコントロールしようと行動するのとではもう雲泥の差が出てくる。 生きてるとつい不安や恐れに支配されて焦って行動に移しがちだけれど、その自分の癖を理解しておくことで予防できることが多い気がする。 とにかく自分は持っているものを100%発揮できるっていうことを疑わないで信じ切ってあげる。つい忘

          1月の備忘録

          できることとできないこと

          一昨年の夏に交通事故に遭って右腕や右肩、膝など結構負傷しました。 その後通院しながら自分で加害者側の保険会社との示談交渉を1人で行うことになって。 2023年はとにかく治療や病院の主治医とのやりとり、事故の事に耐えつつ、あらゆる執着から自分自身を解き放つ作業をしていました。 通常、できないことよりも、今できる事にフォーカスして前に進もうとする性格なのですが、 示談交渉の時って、「事故にあった怪我でできなくなった事」にフォーカスして主張しなくてはいけなのでこれがメンタル的にけっ

          できることとできないこと

          何故か無性に丸(真円)が描きたくなることがあります。 直感なので、もう何にも遠慮なく描いてます。 無題 純楮紙に鉛筆 size 273x242mm

          不思議な感覚。

          最初には全く予想だにしてなかった完成図でした。 無題 純楮紙に鉛筆 size 273x242mm 描き進めて行く中で何かに導かれて答えが出てくる感覚がとても心地よく、一見すると遠回りにも感じるこの工程は、とても不思議でもあり必然だったのだろうと妙に腑に落ちたのでした。 どんどん削ぎ落として出てくるカタチ、ここだけは残しておくもの、全てが直感的選択だけれど間違ってないという確信があったからこそ描けたのだろうと思います。

          不思議な感覚。