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【小説】太陽のヴェーダ 先生が私に教えてくれたこと(31)

第1話あらすじ

約束通り、勤務を終えた瀬名が車で送ってくれた。ぐっすり寝たおかげで、体がだいぶ軽い。

最寄りの駅前で降ろしてもらい、スーパーで買い物をする。自宅までそう遠くはないが、買い物は体に負担がかからないよう、時間も重さも必要最低限に留めた。

外のベンチに座ると、美咲は深く息を吐いた。
今日はいろんなことがありすぎた。
深い呼吸を繰り返し、心を静める。

落ち着きを取り戻すと、今度は意識を巡らせ、内側から体を見つめた。――たしかに軽くはなったが、やはり不調は不調。少ない量でも、買い物袋を提げて自宅まで歩くのは負担である。

見上げた空に月は出ていないが、代わりに星々が瞬いていた。

何か偉大な存在と繋がっているように見えた――

ふと、沢村の言葉を思い出す。
美咲にとっての偉大な存在――雪洋は、いろんなところに存在する。太陽だったり、風だったり。月や星、そして指輪――

「さて、そろそろ帰るとしますか」
私の偉大な存在が、早く帰って休みなさい、と言っているから。

バッグから折りたたみの杖を取り出し、慣れた手つきで組み立てる。杖にすがるように立ち上がると、一歩一歩、ゆっくりと歩き始めた。

「――天野さん!」

やや離れたところから、呼ばれた気がした。
美咲がゆっくりと振り向くと、遠慮がちに距離を取った男と目が合った。
沢村である。
なぜこんなところで、よりにもよって沢村と出会うのか。だが不思議と動揺は小さかった。

心を静めていたからだろうか。
流れに任せよう――
そんな気持ちになっていた。

「お疲れ様です。さっきはありがとうございました。歓迎会、終わったんですか?」

湖の上に立つような、静かな微笑みを浮かべる。
沢村に杖は見えているはず。
だがそれを隠したりごまかしたりする気持ちは、今の美咲にはなかった。

「うん、店の客にたまたま昔の友人がいたから、そこまで乗せてきたんだ」

美咲は夜空を見上げた。
大丈夫、何が起こっても動揺しない。
先生が見守っているから。
星を見つめ、目を閉じる。

「天野さん、よかったら送るよ。もう真っ暗だし、一人じゃ心配だ」

静かに目を開け、沢村を見据える。
思ったより沢村にも動揺は見えない。
紫斑や傷を見ているし、病院が貸してくれた杖と思っているのかも知れない。

「ありがとうございます。でもすぐ近くですから、大丈夫ですよ」

そう言われて迷っている様子の沢村に、それでは、と会釈をする。
コツ、と杖をついて背を向けると――
「だめだ。やっぱり乗って」
沢村の意を決した声に止められた。

「その杖を武器にするならいいけど、それじゃ『か弱い女性です』って言ってるようなものだ。夜道でそれは、だめだ。許さない」

有無を言わせぬ沢村の言葉に、なぜだか笑みがこぼれてしまった。雪洋とは違うあたたかさが、美咲の内側に浸透してゆく。

つかつかと近づいてきた沢村に、買い物袋を取り上げられる。

「告白した男が送ってくなんて警戒するの当たり前だけど。絶対何もしないから、お願いだから送らせてくれないかな。でないと……心配でしょうがないんだよ」

沢村の目は必死で、真剣だった。
また笑みがこぼれる。
今度は目頭も熱くなった。

「指一本でも触れたら警察に突き出していいから」
ふふ、と思わず声が漏れ、視界が潤む。
「それじゃ、お言葉に甘えます」

 

「まいったな……」
車が発進すると、運転席の沢村が苦笑した。
「どうしたんですか?」
いや、と沢村が一つ咳払いをする。

「こんなに拝み倒して送らせてもらうなんてさ。俺、結構本気で天野さんに惚れてるみたいだよ?」

沢村に向けていた視線を前方に向ける。
ライトに照らされて進む暗い道は、ごちゃごちゃとした建物に遮られ、どこへ続くのか先が見えない。

「必ず、お返事しますので。少しお時間をいただいてもよろしいですか」
――早く、どうするのか決めなければ。
「もちろん。明日は天野さん休みだからゆっくり休んで。日曜日出勤だっけ? 体つらかったら休んでいいよ」

杖のことを聞かないんだな、と思う。
沢村は美咲の足が悪いのではと気付いていたのに。

察している。
でも、わざわざ聞かない。
雪洋はそういう人間をこれからは大事にしなさいと言っていた。

――とことん優しい男がここに一人いるってことは、あと三十人はいますから。
雪洋の言葉を思い出す。
先生、もしも沢村さんが「三十人のうちの一人」だったら、私、どうしたらいいですか……

窓から月のない夜空を見上げる。
迷う、ということは、沢村を嫌ってはいないのだ。

「天野さんがお祈りするのは、太陽だけじゃないんだね」
「……すみません、ぼんやりして」
「いいよ。今俺のこと考えてるのかなーってハートマークつけて見てるから」
こういうところが、沢村の優しさなんだと思う。

「君の『偉大な存在』は、何か答えをくれたかな?」
あくまで軽い口調で言ってくれる。
沢村に対して、美咲自身も誠実に向き合わねばと思う。

沢村に目を向ける。
かすかな匂いに触れる。
雪洋とは、違う匂い――

「まだ、わかりません。ごめんなさい……」
「そっか。ま、君にとっては突然だったよね。ちょっと怖がらせちゃったし」

たしかに沢村の男性的な気配に圧倒されて、怖い、とは思った。でも――
「嫌では……なかったと思います」
沢村は一瞬だけ驚いたように美咲を見ると、咳払いをしながらまた運転に集中した。
「そっか、そう思ってくれてよかった」

宣言通り、沢村は指一本触れずに家まで送り届けてくれた。

「あのさ、辛い時は本当に言ってね」
「はい、ありがとうございます」

走り去る車を見送り、美咲はまた、夜空を見上げた。

 

翌日の土曜日。美咲は休み。
一日中沢村とのことを考え、美咲はある決心をした。



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