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【小説】太陽のヴェーダ 先生が私に教えてくれたこと(28)

第1話あらすじ

  ●詮索

水曜日の昼休み、事務室で弁当を開いた美咲は、怪訝な顔をして鼻をひくつかせた。
「わぁー……やっちゃった」
事務室のパソコンで作業していた沢村が手を止める。
「どうしたの?」
「お弁当が酸っぱくなりました……」
「傷んじゃったか。この暑さじゃね」

施設内の冷房は、節電のため弱めの設定。
冷えが大敵の美咲にはいいが、お弁当はそうもいかない。

「はあ……もったいない。すみません、ちょっとコンビニへ行ってきます」

事務室を出ると、沢村が追って来た。
「天野さん、一緒に食べに行かない? 俺も昼休み入るから。車出すよ」
「でも……館内が手薄になりませんか?」
「大丈夫だよ、平日だし。残ってる職員で十分さばける。俺の気に入ってる店がこの近くにあるんだ。ね、行かない?」

……まあ、断る理由もないか。
ということで沢村の誘いに乗ることにした。

 

「いい雰囲気のお店ですね」
「だろう? 天野さんならわかってくれるかなって思ったんだ」

場末の古びた喫茶店――という外からの印象は、いい意味で裏切られた。アジア風と和風が混ざったような南国の雰囲気で、なるほど民俗学に精通している沢村が好みそうな店だと思った。

「こういう感じ、好きです」
「良かった。店員も話しかけてこないから気に入ってるんだ。今どきの若い女の子は、もっと明るくてにぎやかなチェーン店が好きなんだろうけど」
「今どきの若い女の子じゃなくてすみません」

美咲は嫌味のない笑顔を沢村に向けた。

「褒めてんだよ。俺くらいの年になると、ただ若いだけの女の子には興味がなくてね。天野さんみたいな奥ゆかしい日本女性の方がいいんだよ」
「そうなんですか、ありがとうございます。奥ゆかしいかはわかりませんが」

ぺこりと頭を下げてもとに戻ると、沢村が片肘をついて美咲を眺めている。

「何か……?」
「いや、なんの引っかかりもなくサラッと流されてしまったなと思って」

意味がわからず何か失礼なことをしただろうかと思っているうちに、沢村おすすめのナポリタンが二つ、テーブルに並べられた。
沢村はフォークで大雑把に麺を巻いて口へ運び、美咲はソースを飛ばすことなく上手に一口分をフォークに巻き取って口へ運んだ。

「美味しいですね」
素直な感想を述べると、だろ?と言いたげな表情で沢村がニッと口端を上げた。

料理と天気の話題以外は、もっぱら聞き役に徹する。自分から下手に口を開けば、うっかり体の話をしかねないから。

「今度さ、職場の若いので海に行こうって話が出てるんだけど。天野さんも行こうよ」
口の中のものを飲み込む。
「海ですか……」
「そ。海水浴する気満々みたいだから、天野さんも水着姿披露してよ」
「あら、私よりも若い子たちで目の保養にしてくださいよ」

からからと笑って受け流す。
冗談じゃない。
水着なんて着たら体中にある皮膚異常の痕をさらしてしまうし、海水に皮膚を浸けることだって恐ろしい。

「君だって若いだろ。それにさっきも言ったけど、俺は若けりゃいいってわけじゃないの」
そうなんですか、と美咲はにこにこと笑うことに徹した。
「天野さんが行くなら俺も行こうかなと思って」
「私に構わず、皆さんと楽しんできてください」
「ということは、天野さんは行かないわけね?」
「はい、足に傷があるので。せっかくお誘いいただいたのに申し訳ありません」

嘘ではない。

「ねえ、天野さんはどういう条件なら来てくれるのかな」
やや真剣さを含んだ声。
そろそろこの話題から離れたい。
「もしかして彼氏いるの? 独占欲と嫉妬が強い彼氏とか」
いえ、と否定したが、
「じゃ、例えばどういうところなら行けるの? 具体的に教えてよ」
むしろ束縛する彼氏がいると言った方が話が早かったかも知れない。

「……そうですね、あまり夜遅くなく、朝早くもなく、暑すぎず、寒すぎず、立ちっぱなしでも座りっぱなしでもなく、体力をさほど使わず、衛生的なところでしたら――」
沢村は列挙した条件に目をしばたいた。
「単なる出不精かと思ったけど、案外具体的な条件があるんだね」

しゃべりすぎかとも思ったが、沢村の押しの強さは、適当では逃がしてくれない気がした。

「映画は? 『座りっぱなし』に抵触するかな?」
「ああ、そういうのならいいかも知れませんね……」
でも座席の前後の間隔が狭いと、膝の関節が痛くなるかも――なんて言えるわけがない。

「衛生的……か。君のおかげで、あの書庫も大分きれいになったよね。本当助かるよ」
「いえ、そんな、差し出がましいことを致しまして……」
「全然。そういうことをごく自然にやれるってことがいいんだよ」

沢村はフォークを回す作業を一旦やめて、口についたソースを拭いた。

「俺、今年三十五なんだよね。だから親からは半ば見放されつつも、嫁サンもらうことをいまだに期待されてんの。こっちはうんざりして結婚する気も起きないんだけどさ」
「そうなんですか」
当たり障りのない相槌を打つ。
「でも天野さんだったら、いいお嫁さんになりそうだよね」
「えぇっ!? いや、無理です私は!」

美咲の剣幕に沢村は目を丸くし、苦笑した。

「すごい力強く否定するね。どっちの意味で言ってるのかな」
「私は多分、他の女性よりもなんというか……劣っているので、いいお嫁さんには――え? 『どっちの意味』ってなんですか?」

沢村の顔は、苦笑から笑みに変わった。

「いやいい。そっちの意味だってことがわかったから。――謙遜することないよ。天野さんは動きに無駄がないし、よく気がつくし。むしろうちの職場でお嫁さんにしたいナンバーワンじゃない?」
こんな難ありの体で、いいお嫁さんも何もあるものか。
「本当に、全然だめなんです私は」
そうかなあ、と言った沢村の目は、次の好奇心へと移った。
「いつもその指輪してるね。――彼氏からのプレゼント、かな?」

雪洋との最後の夜のことを思い出し、急に顔が熱くなる。

「これは、その……お守りみたいなもので。彼氏……では……ないんです……」
事実なだけに言ってて悲しくなる。
あまり彼氏彼氏と聞かないでほしい。

「沢村さん、なんで今日はそんなに質問攻めなんですか。今のご時世、セクハラで訴えられますよ?」
「ごめんごめん。いやほら、天野さんって飲み会も一次会ですぐ帰っちゃうし、なかなかこういう話する機会ないからさ」

軽くふざけ合いながら、美咲は指輪に目を向けた。
先生、どうしてるかな……
指輪は何も語らず、左手の中指で鎮座しているだけだった。

 

「あの、私の分――」
支払いは沢村がさっさと済ませてしまった。
店の外でサイフを出したが、沢村が手を添えて美咲を制す。
「いいよこのくらい。誘ったの俺だし。それにいろいろセクハラ質問しちゃったから、これで許して」
美咲は、ふふっと笑って頭を下げた。
「じゃあお言葉に甘えて。ごちそうさまです」

沢村くらいの年長者なら、頑なに割り勘を申し出てもかえって失礼になる。こういう時は素直にごちそうになる方がいいだろう。

顔を上げると、沢村がまぶしそうに目を細めて笑みを浮かべていた。
「あのさ、また時々食べに来ない? 別の店でもいいし。もちろん『あまり夜遅くじゃない』時間帯に」
「はい、ありがとうございます。次は私がごちそうしますね」
沢村はしばし美咲を見つめたあと、
「うーん、まただ。どっちの意味かな。あまりあっさり言われると、遠まわしに断られているような……」
再び「どっちの意味」で苦笑していた。

「天野さんって、案外天然?」
困ったように笑っている。
意味がわからず聞き返すも、「まあいいや。乗って」と促された。

助手席のドアを開けて乗り込もうとしたとき、ふと視線を感じ、振り向いた。

道路の向こう、高級感が漂うレストラン。
その店の前の駐車場からこちらを見ていたのは、ワイシャツにネクタイ姿の、瀬名と、雪洋だった。

時が、止まる。

どのくらいの短い間、長い間、目が合っていたかわからない。

「どうしたの?」
沢村も美咲の視線の方向へ振り返る。

雪洋は微笑むと、美咲から視線を外して、自分の車のドアを開けた。
――行っちゃう。
美咲は、深く、深く、頭を下げた。
心から敬意を表したお辞儀だった。

頭を上げると、雪洋はかすかにうなずいて、車へ乗り込んだ。

雪洋と瀬名を乗せた車は、公道に出るとあっという間に見えなくなってしまった。

ネクタイして、学会でもあったのかな。
先生、変わってない……

「――天野さん」
沢村の声にはっと我に返る。
「すみません、お待たせしました」
慌てて車へ乗り込む。
「誰? 今の」
シートベルトを締めていると沢村が聞いた。
どうやら見られていたらしい。
美咲はしばし言葉を探して、答えた。

「私の、師匠です」
「師匠? なんの?」
「ええと、……道の歩き方?」
「なんだいそれ」


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