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迷っていた私への御神託
30年以上の付き合いになる同郷の親友が、私の生態を見て、「書呼吸」という言葉をつくったことがある。もう何年も前のことだ。
「それって『呼吸するように書く』ってこと?」
「違うよ。和珪ちゃんの場合はね――」
*
この冬、なんの迷いもなくやっていた「書く」ということにつまずいていた私。あれほど好きで、書くことで救われてきたことだってあったのに。書かなくてもいいのでは? などと書くこと自体に疑問を抱くまで落ちるありさまで。今までの人生でそれはなかった現象だった。
春になって、ようやく気持ちが陽に転じて、それを逃すまいとnoteを始めた。しかし数日後に訪れた、父の救急搬送。途端に忙しくなり、気持ちの余裕もなくなる毎日。せっかく毎日書くようになってきたのに、私はまたつまずいた。
父が逝ってしまい、私は葬祭ホールで納棺の読経を聞いていた。――息を引き取ってから、まだたったの十数時間しか経っていない。お焼香、喪主の母に続いて、私が二番手。こんな早い順番は初めてだ。
読経が終わり、和尚さんのお話が始まる。子供の頃からお世話になっている地元の和尚さん。お顔を見ると、心がほどけて、涙が落ちる。
和尚さんは、よそのお寺で写経をしたときのことを語り始めた。私は和尚さんの声を聞きながら、意識の深海を漂い、父を想う。――まだ「偲ぶ」気分ではない。生きていたのだ。つい十数時間前まで、父の心臓は動き、手には熱を帯び、生きていたのだから。
そのとき和尚さんが、こちらの方を向いて言った。
「何も考えず、ただ書きなさい」
――びっくりした。
急に、その言葉だけエコーがかかって聞こえた。
「というのが写経の――」
和尚さんのお話は続く。父の納棺のお務めの最中だというのに、私は少し、ドキドキしていた。
今まで私は、エッセイにしろ日記にしろTwitterにしろ、自分や周りの人たちのプライベートなことを書くことについて二の足を踏んでいた。
世の中へ出すことへの恐れがあったから。
それと、一度そういう形で書いてしまったネタを小説に再利用することはしたくない、という強い意志があったから。
読んでいて作者の性格やプライベートが透けて見えてしまう小説には、したくなかった。
書いてもいいのかな……
書いてもいいのかな……
書いてもいいのかも……?
いろいろゴチャゴチャ考えていたけど、
――何も考えず、ただ書きなさい――
和尚さんのその言葉が、まるで御神託か何かのように私へ響いてしまった。
*
納棺、火葬、お通夜が済んで、明日はお寺で葬儀という晩。お風呂上がりの私を母が呼び止めた。茶の間のコタツで頭を抱えている。
「喪主様ごあいさつの宿題、まだかかりそうなの?」
「かかる! ちょっとこれ、おかしいとこ直して」
葬祭の担当さんから渡された例文はあるのだが、母なりに自分の言葉へ書き直していた。
「ここの言葉! もっといい言い方ないかな」
「〇〇〇とか」
「それだ! 他のも直して!」
こういうふうにスッと言葉が出るとき、――ああ、書くことをやっていて良かったな、と思う。身につけた書く力は、今、母のために使おう。私はコタツに入り、母のあいさつ文に目を通した。
「うーん……おかたいオジサンが読むなら熟語が似合うけど、お母さんが読むなら大和言葉がいいんじゃないかな。ええとつまり、ひらがなまじりに崩すの。例えば『故人』じゃなくて『亡き夫』みたいに」
「ああ、んだね」
「でも私としては、お父さんのこと『故人』とか『亡き夫』とか言われるのまだピンとこないから、『夫』でいいと思う」
「私もそう思います!」
「お父さんのこと、まだ亡くなった呼ばわりしてほしくないしさ」
「んだ!」
「作法として正しいかは知らないけどさ」
「いやいいよこれで! これでいこう!」
「あと『故人の葬儀に』っていうのしつこいと思う。故人じゃない葬儀があったら持ってこいって俳句の夏井先生なら言うよ」
「んだ! 言う言う!」
そのあとの文章にも私なりの直しを入れ、母も納得し、ようやく完成が見えた。母は清書を始めたが、すぐに手を止め、勢いよく私へ言い放った。
「あんだ! これ(葬儀)終わったら時間やっから! なんか書いて私に読ませて!」
――また、びっくりした。
「あんだ! 短い言葉でスッと語る人だよ!」
どちらかと言うと長い言葉で語る方だと思っていたけど……そんなことより、また御神託のような言葉を浴びてしまった。いや、もう、御神託ってことにしてしまおうか。
体調管理と家のことが第一だけど。書くこと――私にとっては「自分の心をなぞること」。これからまた、始めよう。
*
「和珪ちゃんは、書呼吸だから」
書けないくらい気分がひどく落ち込むとき、親友はきまって私にそう言った。
「それって『呼吸するように書く』ってこと?」
「違うよ。和珪ちゃんの場合はね、『書くことが呼吸』なんだよ」
にわかには意味を理解できないでいると、親友は笑った。
「呼吸しなさいよ。酸欠になっちゃうよ?」
――ああ、そうか。わかった。
書けないくらい落ち込んだ、じゃないんだね。
書かないから、落ち込んだんだ。
私、酸欠になってたね。
今回の落ち込みはひどかったから、親友に相談することすらしなかった。相談していればきっと、私の本来の姿をすぐに思い出させてくれただろうに。
もう大丈夫。
今はちゃんと、呼吸しているから。
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