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同じ地球生まれのはずだけど

もうすぐ父の初盆。戒名を刻みに石屋さんも来るから、母と二人で草刈りをするため、お墓へ出かけた。トトロの森へ通じそうな木のトンネルを歩き、獣道のような坂――というより土手をおりて、我が家のお墓へ到着。

少し見ない間に、墓地全体の緑が随分と増えた。春にはシンプルな姿をしていたワラビが、今では南国の植物のように葉を茂らせている。通路やお隣のお墓との隙間を埋め、ちょっとしたジャングルのよう。

お墓に眠る父と祖父母にあいさつし、母と二人でせっせと刈り始める。刈った草は、すぐそばの山の斜面へ持っていく。

草を置いて、ふと、環境問題で取り上げられるプラスチックやら放射能やら何やらは、どうして環境や生き物へ有害な存在となってしまったのだろう――と思う。素材はもともと同じ地球から生まれた物のはずなのに。

今ここのお墓周りに生えている草は、いずれここの土へ還るもの。刈り取って山へ置いた草も、もといた土から数メートルしか離れていないから、いずれ同じ土へ還ると言っていいだろう。

自然に還る草だから、こうやって山へ捨てても環境破壊とか有害ガスが出るなどの大事にはならない。そりゃ中には、人間にとっては害となる植物もあるけども。

同じ地球から生まれたものでも、度を超えた存在になると自然界では処理しきれなくなる。人の手を介したから、そうなってしまったのか。

そういえば前に、人類が滅んだあとのシミュレーションCGというのを見たことがある。人類にとってはとても長い年月、地球にとってはさほど長くない時を経たのち、プラスチックなど人類が存在した痕跡は、跡形もなく消滅していた。

自然界に多大なる迷惑はかけるが、手に負えないわけではないらしい。偉大なり、地球。――そんなことを考えながら、草刈りを終わらせた。

お線香の香りの中、手を合わせる。人類が滅んで次の生物が現れるまでには、この墓石もなくなっているだろうが、何世紀かあとの人類からは、遺跡と呼ばれるのかもしれない。

とりあえず初盆前に、もう一度草刈りはするようだろう。自然の力は偉大なり、だ。

今日も暑い。




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