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兵庫県・灘の蔵元の台頭について

兵庫県・灘の酒。と言えば全国展開をする蔵元が多いところです。

いつから人気を獲得して行ったのか、なぜ人気になったのか?
その辺りを少し。

神戸は、行かれたらわかるのですが、すぐ山があり、平野部が少なく、すぐ港ができる深い海があります。
灘の酒がブレークする理由は、この風土にあったのです。
3つのポイントを挙げると
①造ったお酒をすぐ出荷できる点
②神戸の山には水車が多く、他の地域よりお米を磨ける点
③日本酒造りに向くお水(宮水)があった。

①港があり、できたお酒をすぐ出荷できる事。
これは明治時代の伏見のお酒にも通じる点です。(その時は電車です。)
江戸時代は船が最大の物流です。

②の水車が多いことは、当時菜種油を多く生産していたことにあります。菜種油は六甲山麓の芦屋川や住吉川の急流を利用した水車式の搾油業が発展していました。
司馬遼太郎著「菜の花の沖」にもこの話が出てきます。

春の間は菜種油、冬の間は精米をしていたと思われます。
当時の他の地域より圧倒的にすっきりときれいな味わいだったことでしょう。

水車

③の日本酒に向くお水ですが、どのような事が向いていたのか。
水はカルシウムなどの含有量によって軟水、硬水に分けられます。
宮水は、硬水で、リンの含有量が多く、鉄分が少なく、塩分の少し含んでいます。
これは、酵母の栄養素が多く、増殖するのに非常に適した水です。
当時、まだ日本酒製造では腐造などが多くありました。宮水は、栄養素が多く酵母が元気に発酵するので短い時間でお酒になる事ができました。

以上のことより、
高精米歩合のお米を、短期で発酵し、腐造が無く、すぐ出荷できるのです。こういったお酒は、温めて飲むのに適しています。

灘の辛口と呼ばれ、主に江戸で消費されていきました。
今、現代のお酒のベースになっています。

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技術面でも、灘の蔵元が、台頭してきた時期に、生酛仕込み、火入れなど多くの技術のベースがこの頃に定着していきました。

軟水が淡口醤油を造り、硬水が灘の銘酒を生んだのです。
現代では、発酵技術がどんどん進み、軟水でも美味しいお酒が造れるようになってきました。

それが、吟醸造りです。
ざっくりと言うと
軟水→冷やして美味しい 硬水→温めて美味しい
と言えるのではないでしょうか。

次は、軟水と硬水について書こうかな。

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