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小売り酒屋から蔵元へ。龍力創成期。

龍力㈱本田商店は、創業1921年。2020年に100年目を迎えました。そこで清酒「龍力」がどのような成り立ち方をしたのかを書いてみたいと思います。

多くの蔵元は、~~酒造と言う風になりますが、龍力は本田商店です。
なぜなのか、それは、もともと龍力㈱本田商店は、普通の酒屋さんだったのです。
龍力の初代本田新二は、姫路市余部区上余部の造り酒屋の次男として誕生しました。
親元は、「播磨鶴」という銘柄を造っておりました。

新二は、明治の終わりの頃、播磨鶴のお酒を売るために、現在の地である網干駅前に、小売酒屋を始めました。

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網干駅は、当時、貨物列車が停まる駅でした。(現在は止まりません)

では、なぜ、貨物列車が停まったのか。
それは、たつの市が名産である揖保乃糸、龍野薄口醤油を載せていたからです。物を載せるという事は、降ろすものもあります。
それが、ビールやお酒でした。
当時は、駅までそれぞれの酒屋が取りに網干駅まで来ていました。
大変な作業です。

そこで、酒屋さん達から、
「本田君、駅に一番近いのだから、我々のお酒を取ってきてくれないか?」と言われ、よっしゃ、よっしゃの二つ返事。
小売酒屋から問屋へなりました。
今風に言うとBtoCからBtoB への業種変更です。

お酒を売る商売をする傍ら、すぐ北の村の糸井の庄屋である糸九(糸井の九兵衛様)さんのお世話になり、米蔵の管理などをさせていただいていました。
管理をしっかりしていたのが認められたのか、糸九の旦那さんに気に入られ、
「本田君、頑張っているねー。お米貸してあげるから酒造らないか?」
とお声がけいただき、酒造りを始める決意をしました。

そのような時に、龍野のカネヰ醤油の三木弥兵衛さんより「本田君、お酒造りたいのやろ?清酒製造権利貸したるわ」と酒造権利を譲ってもらい、酒造りを行うようになりました。

1921年から清酒製造を始めたと記録に残っております。

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初代の人柄の良さが出ているエピソードです。
初代にならい、人の良さとチャレンジ精神を持ちお酒造りをしていきます。

次は、地域のお話、なぜ、醤油屋さんが醸造免許を持っていたのか??について書いていきたいと思います。

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