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わからないフリで作る価値創造

「リサーチは土台以上が作れない」という話を聞きました。これをよく聞いてみると、リサーチに限らずデザインされた場では何を聞くか・話すかがあらかじめ決められているので、それの外側に潜む価値を見つけにくいということです。

自己紹介や雑談にフォーカスしても、その時には名刺や雑談のテーマなど決められた枠組みの中での会話は出てきますが、その外側のふとした気づきや発見は生まれにくいのではないかと思います。

これは、問題解決よりかは課題発見に関する話でありまして、正解や共感など意図せず狭い範囲でコミュニケーションを模索しているのでその外側に潜む価値に到達できないという話です。

では、どの様にすれば既存の枠組みから飛び立って、その周辺に潜む新たな価値の発見や課題を見つけ出すことができるのでしょうか。今回はそれについて考えてみたいと思います。

枠組みの中のコミュニケーション 

普段私たちの身の回りに溢れているコミュニケーションはいわゆる今回の前提の視座から見てみると枠組みの中の会話や対話といえるかと思います。テーマがあり、それに沿って参加者が思いを込めた言葉や何気ない反応を場に出していくという構造のものです。

枠組みの中のコミュニケーションと書きますとなんだか身の回りにあるものを非難しているかの様に見えるかも知れませんがそういうことではありません。何気ない普段のコミュニケーションがとある枠組みの中に収まっている活動と言えるかも知れないということです。

そうなってくると、きっと非枠組み的コミュニケーションがあるはずです。それの一つが子どもの会話かと思います。子ども達のコミュニケーションは、大人から見てみると到底コミュニケーションと言えるものではないかも知れません。例えばこんな感じです。 

A「お外遊びに行こうよ」
B「僕お腹減った」
C「飛行機が好きなんだ!」
A「僕も外で遊ぶの好き」
・・・

こんな感じの統一性のないコミュニケーションをとっている様な気がします。各々が好き勝手主張し合っている場です。しかし、非枠組み的コミュニケーションもいつしか一緒に砂場で遊んだり、絵を書いたりと共同することがいつの間にかできています。 

なので、非枠組み的ですがコミュニケーションと言えるのかと考えてみました。

また、私たちは、子ども達の動きを観察した際に「子どもって、クリエイティブだなぁ」などと呟いてしまいます。なぜ無秩序な状態がクリエイティブなのでしょうか。そうなってくると秩序立っている枠組み的コミュニケーションはクリエイティブになり得ないのでしょうか。

きっと、意図しない場所に意味を見つけ行動に移す様を見てついついクリエイティブと言ってしまうのかと思います。そうなった時に、私たちはどうしたらこの場合の意図しない場所に意味を見つける環境を作り出せるのでしょう。

無秩序なクリエイティブとは

この様に構成を立てて、枠組みの中でクリエイティブについて話すこと自体が創造的ではないのですが、わかる範囲をわかるだけ論理立てて整理することで、ブラックボックスが徐々に明らかにされていきます。

早速ですが、クリエイティブという意味が結局なんなのかということです。無秩序が創造的であると勝手に解釈してみましたが、本当にそれは創造的いわゆるクリエイティブな状態なのでしょうか。

そして、困った時の「学び」の認知科学事典です。「創造」で引いてみたところ、ピンポイントでそれがなかったので「創造的知能」を採用して書いていきます。

創造的知能
日常生活の文脈において問題を解決するために,既知の情報を適用,活用し,実行,達成を支える知能

毎度のことよくわからないし、今回の話となんの関わりがあるのか怪しいですが、無理やり考察していきます。この場合きっと問題解決を迫られた時に既知の情報を組み合わせなんとか解決をする力について書かれています。しかし、前で述べた「子どもって、クリエイティブだなぁ」ではなんの問題に突き当たり解決しているのでしょう。

多分、私たちが子ども達の無秩序なコミュニケーションをそう解釈する時に、このフレームに沿って考えるのであれば、なんとかみんなで納得解を生成した時点を問題解決と認識して呟いてしまうのではないでしょうか。どうなるのだろうという客観的に観察したときの彼らの状態を問題と仮定して、なんとかなった状態を解決としているわけです。

このときのプロセスに注目してみると、全く効率的ではないかも知れませんが思いもしなかった方法で私たちを驚かせてくれます。それが創造的に見える正体なのかも知れません。そしてこのプロセス内では、各々が好き勝手既知の情報を提供し合って、なんとか解決できているので創造的と言えるかも知れません。(違うかも知れませんが)

その好き勝手に振る舞っている状態が、非枠組み的コミュニケーション指して今回のnoteを書いています。そうなってくると、普段の大人のコミュニケーションがどれだけ枠組みの中で求められた解を提供し合っているのかに気がつけたかも知れません。大人のコミュニケーションで創り出される創造的な場はまさに創造的知能が働いている状態ですが、それと似た構造を子ども達のやりとりにも発見できるのだと思います。そして、彼らはデザインされた外側の価値を作り出します。

無秩序をデザインする

ここまで書いてくると、どうやって無秩序な環境を作るのかということに関心が向いてきますが、大人達にお酒が好き、仕事しないと、眠いみたいな話に一貫性のないことをさせることではないです。

この非枠組み的な環境を作り出すためには、デザインしないことをデザインする必要があるかと思います。簡単に言えば、余白を作ってあげるということです。想定してしまうと最後、想定内か外のどちらかの解しか出てきません。なのであえてどちらでもない解が出ても良い環境を作るということになるかと思います。

例えばどんな場なのかと言えば、クリスマスプレゼントについての話の途中で、「クリスマスってなんだっけ?」みたいな前提・枠組みを飛び越えるきっかけを作ることかも知れません。

もっとシンプルにいうなら当たり前を問いても良い場にです。これは十分非枠組み的な場のスタートになり得ます。なぜなら、普段の会話ではわかっていなくてもわかっている範囲でなんとかやりくりしようとします。このわかっている範囲でなんとかやりくりすることで問題を突破するのが創造的知能ですが、わかっている範囲をあえてわからないという前提で取り掛かりで偶発的な結果をもたらす構造は子どものそれと似たものがあります。

そうなってくると、無秩序をデザインするというのは、ふと省みて前提を問いてみることなのかも知れません。わからないフリをしてみるというのも非枠組み的なコミュニケーションのきっかけになるかも知れません。番狂わせが場を盛り上げる感じかも知れませんね。

それに、わかった気になっていても相手は私とは違った意味合いでその言葉を使っているかも知れないのです。なので完全にはわかっていない場合の方が多いのではないでしょうか。その言葉の意味や背景を知るためにも、わからないフリをしてみるのは有効なのではないでしょうか。

実際に、多くの言葉が具体的な事象を抽象化したものにすぎません。なのでデザイン一つとってもそれを思い浮かべた時に人それぞれ思い浮かべる像は違うでしょう。なので、その浮かべる像がどんなものなのかをしっかり認識することで上辺だけの綺麗な会話から脱して子どものクリエイティブな会話を作れるのではないでしょうか。

まとめ

「リサーチは土台以上が作れない」というフレーズからだいぶ飛躍して、考えてきましたが、結構それっぽいことになっているのではないでしょうか。

まとめてみますと、
・子どものコミュニケーションは無秩序
・でも無秩序の中に創造性がある様に見える
・それを真似るためには、わからないフリをしてみることが有効
そうすれば、枠組みの外側の価値を見つけ出せるかもみたいな感じですかね。

では、今回はここまで。みなさんわかったフリではなく、わからないフリをしてみると今までよりも変わった世界が見えるかも知れません。良い番狂わせになりましょう。



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