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就活から逃げるという選択肢

初めまして。宮城県の大学に通う徳島住みの大学4年生のたくまです。
いきなり矛盾したような文章に思えるかもしれませんが、半分合ってて半分間違ってます。私はこの春から大学4年生に進級しました。でも、普通に大学に通っている訳ではなく、実は1年間休学している人なのです。そして、この4月から縁あってはるばる徳島県までやってきてとあることをしています。

このnoteでは休学という普通でない選択をとった大学生が、徳島でとあるお仕事をしながら1年間暮らしている時に思っていることをズラーっと書いていこうと思います。同じような悩みや不安を抱えている人の、何かのきっかけになってくれたら嬉しいです。

休学って何者?

 まず、大学にある「休学」という制度をご存知ですか?私は大学3年になるまで全く知りませんでした。そもそも、大学なんて4年で卒業するのが当たり前(留学などは除く)。5、6年かけて卒業する人って留年とか問題ありな人なんじゃね?って思ってました。それに、私の通う大学では元々留年生が他大学に比較して少ないため、4年間できっちり卒業するという考えが当たり前のように存在していました。

 先に話しておくと、普通は休学すると休学費というものがかかります。私立とかだと10〜20万円ぐらいかかる?のですが、私は公立大学に通っているのでなんと休学費が「0円!」つまり、無料で大学生活をもう1年遊べるドン状態にできるのです(ご語弊ががありそうで語弊はないかも)。とは言っても、休学が無料でできるだなんていう理由だけで休学した訳ではもちろんありません。もし休学すれば同級生とは一緒に卒業できません。1年後復学したときに周りにいるのは見知らぬ後輩だけ。就活で不利になるかもしれない。就職しても同期は一個下の年齢などなど。周囲が進むとは違うレールに乗り換えるため、ハードルが決して低い訳ではありません。実際、私も休学しようと決心したとき、これらは休学に踏み切れない大きなハードルとして乗り掛かりました。それでも私が休学した理由を書いていこうと思います。


休学という道を選んだきっかけ

 大学3年生の時期、多くの人が就活をスタートすると思います。私の住む宮城・東北は関東の学生と比較して就活をスタートさせるのが遅いとよく言われます。私も決して例外ではなく、大学3年生の夏に、ようやく重い腰を上げて1dayのオンラインインターンに参加し出しました。とは言っても参加した覚えがあるのは2社ぐらいで、楽しかったという記憶は全くありません。そこからダラダラと時は過ぎて行き、10月になりました。この時期になると周囲の友達が「早期選考そろそろだよねー」みたいなことを言ってきます。そして、私のゼミの担当教員も「もう本気で就活しださないとね」と言ってきます。そこで私のゼミ(以降Tゼミ&T先生)では「20社のインターンに参加する」といういきなり面倒臭い課題が課せられました(このTゼミは私の成長に欠かせなすぎる影響を与えてくれたので、また今度詳しく書きますね)。私ももれなくこの課題に苦しんでいたのですが、なんとか20社分のインターン参加のESを書き上げ(もちろんコピペもある)、さまざまな企業のインターンに参加しました。私は広告業界やマーケティングに興味があり、かつ東京の企業に就職したいと思っていたので、そこら辺を攻めまくりました。

 ある日、あるベンチャー系の企業のインターンに参加しました。そこは同級生がその企業の最速内定者として決まっている企業で、その同級生がおすすめしてくれたこともあって参加を決めました。そして当日、いざ参加してみると参加者は50〜60人ぐらいでした。そして自己紹介が始まり、私は「宮城県の大学に通う〜」と至って普通のことを話しました。そのまま次の人次の人と挨拶が進み、終盤に差し掛かったところで、ある男性が挨拶を始めました。「こんにちは、あ、今ロサンゼルスからzoom繋いでるんですけど〜、」私はこの人の挨拶を聞いた瞬間、「あ、なんだこれ。俺って何?」状態に陥りました。よくよく考えてみると、他の学生もよく聞く有名大学に通っていたり、留学していたり、学生起業していたりと、もう自分が恥ずかしくなるくらいの経歴の持ち主ばかりでした。後日、その男性をネットで検索してみると、YouTubeの就活系チャンネルでインタビューされている方でした。私はこのインターン中、頭が真っ白でした。インターンも終わり、パソコンを閉じた時に思ったのは、「就活したくない、逃げたい」ということでした。就活のスタートラインに立ったばかりなのにも関わらず、就活の全てを知った気になって、その後インターンに参加するのが怖くなりました。これが私が休学という道に進んだ最初のきっかけの出来事でした。まあ普通に考えたらメンタルがお豆腐すぎるだけなんですけどね。


人生のレールから外れる決断

 それからというのも、就活なんて考えたくない日々が続いていきました。というよりも、「就職ってなんなん?」マインドが強くなっていった感じです。私は大学と同級生が大好きで、ずっと大学生でいたい気持ちが強い人間なので(それでも大学1年生の前期とかは友達少なくてきつかったけど。さらにコロナで失われた華の大学2年をずっと引きずっていたけど。これもまた後日)、その思いも就活嫌々マインドに拍車をかけていきました。

 私の所属するTゼミには非常に癖が強い人ばかりいます。T先生は常日頃から「ワクワクする方を選べ」と言います。他人とは違くても、否定されようとも、自分がワクワクできるものに挑戦した方が、確実に良い人生になるというのです。だからこそ、ゼミ生の進路も個性豊かです。その中でも他ゼミと比較して言われるのが休学する学生の割合が以上に高いということです。T先生も休学を推しに推しに押しまくる人物なので、休学という選択肢は、しないにせよ薄々とは元々あったのかもしれません。したがって、T先生がゲスト講師として連れてくる社会人も非常に休学を積極的に肯定してきます。私が↑の様なマインドになっている時期に、とあるゲスト講師の方(以降Aさん)がやってきました。その方は東京のベンチャー企業の社長を20代で務めるなんか見るからにすげえ方なのですが、その方と授業終わりにご飯に行く機会がありました。確かクリスマス直前の時期だったと思います。Aさんも例に漏れず休学肯定派の方だったので、私は「人生のレールから降りるってどうですか?」というふうな質問を何問もしました。でも、その返事はいまいち覚えていません。というのも、その席に同席していた1年生がめちゃくちゃ質問してて、ウケを取ってて、何もうまく話せない自分をずっと責めてめちゃくちゃ落ち込んでしまっていたからです。その後の帰り道、あまりに顔面蒼白してる私の顔を見たAさんが「休学したいんでしょ?」と言ってきました。完全に私の心の中を読んでいたかの様な質問に、そこでもうまく答えられず、チグハグに返事してしまったと思います。でも、その夜、「休学ってどうなんだろうな」というマインドから「休学したいなぁ」というマインドに変わっていった気がします。

 休学とは、何かをしたいという目的を持ってするもの。皆さんもこんな普通じゃない道に進むのだから特別な理由がなければしないだろうと思うはずです。しかし私の場合、最初のきっかけは「就活から逃げたい」という安易でネガティブなものでした。完全に嫌だから辞めよう。という理由です。私は休学することにこのことがどうしても引っ掛かっていました。例えば、「プログラミングを必死に勉強したいから」とか、「海外でバックパッカーをしたいから」とかいう挑戦的なものであれば、もっと肯定的に休学できていたと思います。でも私は違う。完全に逃げの道。逃げるは恥だが役に立つってあるけど、まさにそんな感じでした。秋に休学という選択に興味を持ってから、2021年中には決めようと思っていたのに、そのままずるずると年を越えても尚悩んでしまいました。

 さすがにこんな停滞したままではいけないと思い(そもそも休学の申請は2月末までってのもあるけど)、何か休学してやりたいことはないかと考えまくりましたが、「休学する理由作りにいっちゃってるじゃん」と自問自答が続きました。そのまま1月中旬を越えた日、同じゼミの子から、今からT先生とご飯食べるから来てと誘いを受け、ぼんやりした思いを持ちつつお店に向かいました。そこは美味しい水炊きのお店で、ある程度食べ進めた後、重い口を開けて「俺、休学していいですか?何するか決めてないけど」と言うと、T先生は間髪入れず「うん、いいよ」と言いました。正直に「就活から逃げたいし、やることも決まってないけど、休学しなかった方が後悔する気持ちになってます。」と打ち明けると、「休学をするっていう選択を自分の中でよく考えて、できているだけで十分じゃないの?」と返されました。何か重いモヤモヤが解けたという訳ではありませんが、その時確実に私は休学に対して前向きになれた気がしました。という経緯で、私は何をする目的を決めないまま休学に踏み切ったのです。


後付けの理由でもいい

 それからというものの、私は休学中にすることを毎日考えました。元々日本を旅するのが好きだったので、「日本一周する?」とか。マーケティングを勉強したかったので「東京でインターンする?」とか。色々考えましたがしっくり来ません。前述のように、ワクワクしなかったのです。休学という選択に踏み切れたものの、再び足踏み状態になってしまったのです。そんな時、ふとスマホを見ていると「独立リーグ」という文字が目に入ります(恐らくなんぞや?と思う人がほとんどだと思うので、またいつか詳しく書きますね)。完全にこれだ!状態でした。何もかもがつながって綺麗に休学とつながって見えたのです。というのも、私には中学生の頃から一貫して変わらない夢があります。それは「東北を野球の力で盛り上げる」ということです。

 プロ野球と独立リーグという違いはあれど(正確に言えば独立リーグもプロ野球の一部ではあるのですが、多分一般の方にはわかりやすいと思うので)、そこで得た経験は必ず生きるはずとしかその時は思えませんでした。プロ野球団では元々インターンのプログラムが用意されていたり、なかなか融通も利かせにくい面があるため、独立リーグであればある程度裁量を持って学べるのではないかと思い、なんだか全ての辻褄が「独立リーグでインターンをする」ということで合っていってしまったのです。そうとなったらもうやるしかない。すぐに文章を考え、北は北海道、南は沖縄まで全国20チーム以上にメールを送りました。「こういう経緯で休学します。こういうことを学びたいです。1年間働かせてください。」と。そこから紆余曲折あり、最終的には徳島県のチームで1年弱働かせていただけることとなりました。ここもまた詳しく書きますね。
 ということで、何をするか決めぬまま、就活から逃げたいというネガティブな理由で休学に踏み切った21歳大学4年生の道が決まりました。



就活ってクソ野郎だ!

 なんて書きましたが、そんなことはないんですよ(高速な前言撤回)。私の友達もめちゃくちゃ就活を頑張っていますし、中には楽しんでやっているやつもいます(ど変態だと思うけど)。でも、大半はやりたくないし面倒臭いしって思ってるんじゃないかなって思います。私は就活のマウント合戦というか、嘘つき合戦というかに特に嫌気が差していました。多分そう思っている人もたくさんいるんじゃないかなと思います。もし、今絶賛就活中の人や、これから就活だという人がいれば、是非声を大にして言わせてください。「就活で内定をもらうことが大学生活のゴールではないと」。別に休学する理由なんて些細なものだっていいんです。もっと大学生活満喫したかった。アルバイト楽しいから続けたい。働きたくない。自分の好きなことをしたい。私なんて、〇〇をしたいだなんてポジティブな理由さえなかったんですから。だから、就活で嘘をつきまくって傷つくぐらいなら、自分に正直にやりたいことをやっていいんじゃないかって。よく大人が学生生活でしかできないとか言いますが、本当にそうです。これから40年近く働くのに、今しかできないことは必ずあります(もちろん社会に出てからもやれる機会はいくらでもあるはずだけど)。だから、今一度自分の心に正直に、今やりたいことはなんだと考えてほしいんです。もしそれが、就活という悪魔に侵されているのであれば、私のような休学という選択肢もあると少し思ってみてほしいんです。

 もちろん、だからと言って休学という道が正しいというわけでは完全にありません。社会に出ることもめちゃくちゃすげえことだと思います。なんなら休学なんて邪道です。前述の通り、逃げ恥です。それでもただ単に、今の自分に就活が合わなかっただけなのです。私はたまたま休学が自分の信じられる道だっただけなのです。だから、もし就活が嫌で嫌で仕方ない人がいたら、逃げるという選択肢もあるということを知ってほしい。そしてそれは恥ずべきことではないと。1.2年の差なんて関係ないのだと。そしてこの経験は必ず生きるはずだと。私はそう信じられているだけ、自分は過去より成長したと思っていますし、休学しなければ、未来に対して悲観的なままだったと思います。

 今回の文章は休学とはなんぞや?的なところがメインだったので、そんなに大それた文章ではなかったと思います。私がこれまでに学んだ経験はまた次の機会に書ければと思います。この記事を読んで、休学という制度があるということだけでも知ってもらえたら嬉しいです。

 最後に、私が好きな言葉を書かせてください(なんかカッコつけてる風だけど)。これはあの半沢直樹に登場する中野渡頭取という人物が言った言葉です。私は半沢直樹が好きで、単に見ていただけなのですが、この言葉を聞いたときに完全に心に刺さりました。こんなこと漫画の世界のことだけだと思っていたけど、現実に起こってしまいました。 

物事の是非は、決断したときに決まるものではない。評価が定まるのは常に後になってからだ。もしかしたら、間違っているかもしれない。だからこそ、今自分が正しいと信じる選択をしなければならないと思う。決して後悔をしないために。

半沢直樹2 最終話

 私は休学して野球の仕事をするという道を信じました。これが将来、東北で野球に関わる仕事がしたいっていう目標に、なにかきっかけができればなっていうのもあります。でも、この休学でそれとは全く違うことに興味が出ても全然いいなって思います。もしかしたら飲食に興味が出るかもしれないし、美容を好きになってるかもしれないし。だから、そんな遠い夢に執着するってよりも、一日一日頑張っていた結果、どっかに到達してればいいなって。就活に強みが出るのかもしれないし、就職してから徳島生活と接点が生まれるかもしれないし、もしかしたら50歳ぐらいになってからこの休学が生きてくるのかもしれないし。ま、そんな遠くまで生きてこなかったらなってたら「いーや、休学した意味」って思ってるだろうけど。だからこそ、必死に徳島で生きてきます!(全然最後にではなかったですね)

読んでくれてありがとうございました!



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