たつまき脳髄液

ギターとビールと家族を愛するおやじ。東日本脳髄液。

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橘高文彦と筋少コピバンと私

私はギターが特別上手いとか音感が優れているとかそういうのとはあまり縁がないが、ことギタリスト橘高文彦に関する曲を耳コピして人前で演奏した曲数だとおそらく世界一と言っても過言ではないと思う。 キノコパワー/僕の歌を総て君にやる/小さな恋のメロディ/愛のリビドー/踊るダメ人間/ドナドナ/少女の王国/トゥルーロマンス/再殺部隊/電波ブギ/ノーマンベイツ/僕の宗教へようこそ/マタンゴ/さらば桃子/レティクル座の花園/元祖高木ブー伝説/月とテブクロ/これでいいのだ/オレンジエビス/ツ

    • 再生

      あのときのヒーロー

      作詞作曲編曲:たつまき もうダメだと思ったそのときに くじけてしまうときに 立ち向かう心を呼び戻して もう起き上がれないと思うとき 気持ちが折れるときに いつでもそばで勇気をくれる あのときのヒーロー 嫌なことがあった日はざわざわと 心がそう波打ってる めちゃくちゃ失敗した日は なんであの時そうしたか悔やんでる 何気ない優しさに癒されて立ち直るより 戦うヒーローの魂で憂鬱吹き飛ばせ! もうダメだと思ったそのときに くじけてしまうときに 立ち向かう心を呼び戻して もう起き上がれないと思うとき 気持ちが折れるときに いつでもそばで勇気をくれる あのときのヒーロー カラ元気で突っ張ってカラ回りするより 仲間を想うあの優しさ心に刻み込め! 敗れた心に寄り添って勝利へ 君を導いて消える ピンチの時にまた現れる もう立ち上がれないと思うとき 心が折れるときに いつでも君に力をくれる あのときのヒーロー

      • 再生

        雷電音頭

        作詞:佐々木 泰廣 佐々木 和彦 作曲:佐々木 泰廣 編曲:たつまき 夕日抱いた日本海に影を落として雷電岬 忍ぶ悲恋の伝説故かなぜに寂しい刀掛け 雷電よいとこよいところ ちょいと一度おいでよ海の宿へ湯の里へ 空を圧する大岩壁は怒り狂った悪魔の業か 鳥も通わぬその頂きに飛ぶはつがいか岩燕 雷電よいとこよいところ ちょいと一度おいでよ海の宿へ湯の里へ 滝や洞窟数ある中で竜が潜むか不落の洞窟は 奇岩怪石限りもないがこころなごます傘岩よ 雷電よいとこよいところ ちょいと一度おいでよ海の宿へ湯の里へ 荒く削ったその岩肌を紺く映して碧の海は ピリカメノコの泪の色か忍ぶ義経夢はるか 雷電よいとこよいところ ちょいと一度おいでよ海の宿へ湯の里へ 夕日抱いた日本海に影を落として雷電岬

        • ロックの原点

          「イエスの思想を理解できなかった弟子が(新約?)聖書を作った」と主張する書籍の存在を初めて知った。 もともとはシンプルだった思想に弟子たちが色々足して聖書を作った、というような話らしく(未確認)、その仮説に倣って語るならイエスの思想は老子くらい広く素朴だったのかもしれない。 そしてこの説を肯定するとするなら、どんな宗教だって学問だって本質はシンプルで素朴なもので、そこに人の都合や自我がくっついて今の形になっているような気がする。 これはギターの歪みにも当てはまりその始祖

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        橘高文彦と筋少コピバンと私

          「芸は身を助ける」は本当か

          google検索で調べると「趣味として身につけた技芸が困ったときに生計を立てる手段となる」的な表現が目立つが、生計を立てる手段になるほど技芸を研鑽できる人の生活が困窮するのはだいたい人間性の問題なので、この例に該当する人はむしろ技芸により窮していると言うべきだろう。 では芸が身を助ける事が無いのかと問うならばそのようなことは無く、蓄積された経験によりゼロから始まる人間関係を円滑に育てられる場合が多々ある。新しい居住地、新しい職場、新しい飲み屋に飛び込みそこで既に形成されてい

          「芸は身を助ける」は本当か

          私の休日

          私の平日の動きは先日克明に記したが、今を振り返る未来の自分を想像していつも泣きそうになっている私のために、休日もまた記しておこうと思う。 金曜日はほぼ確実に晩酌をするので明けた土曜の0時から1時の間くらいに眠るが、平日と違い金土の夜中は一切目が覚めない。それなら毎日飲んだ方が良いのではないかと頭をよぎるが毎日飲むのはアル中であるという持論からそれをしない。私にとって「晩酌は毎日やる」「朝食は毎日食べる」「納豆、牛乳、ヤクルト、ヨーグルトは体に良い」「パンをもっと食べましょう

          近所の飲み屋

          いつどこで知ったか忘れたが、スヌーピーか何かの話で「人生を豊かにするにはオープンカーと池を持つことだ」というような一節があり、座右の銘というほどのものではないがこの考え方は私の人生でどちらかというと辛い悲しい腹立つ出来事に心が支配されてしまわない為の転ばぬ先の杖として心の片隅、いやもう少し中心寄りに置いてある。晴れの日はオープンカーに乗れて楽しい(しかし池は干上がる)、雨の日は池に水が貯まって楽しい(しかしオープンカーには乗れない)という「人間万事塞翁が馬」の西洋的な例えと言

          近所の飲み屋

          私の平日

          作家 辻仁成さんの日記「辻仁成の一日」を見て感銘を受け、私も平日の自分について書いてみたくなった。 彼の偉大なところは、バンド「エコーズ」でメジャーデビューし、小説家として「海峡の光」で芥川賞を受賞し、映画監督、演出家、youtuberとして非凡な活躍をしていながら息子のために家事の一切をこなし、日常を丁寧に生きることで我々庶民との距離を感じさせないところである。 小説は「父 Mon Pere」を買って読んだが、会話のテンポが良くいつの間にか読み切ってしまった。20年ほど