見出し画像

「芸は身を助ける」は本当か

google検索で調べると「趣味として身につけた技芸が困ったときに生計を立てる手段となる」的な表現が目立つが、生計を立てる手段になるほど技芸を研鑽できる人の生活が困窮するのはだいたい人間性の問題なので、この例に該当する人はむしろ技芸により窮していると言うべきだろう。

では芸が身を助ける事が無いのかと問うならばそのようなことは無く、蓄積された経験によりゼロから始まる人間関係を円滑に育てられる場合が多々ある。新しい居住地、新しい職場、新しい飲み屋に飛び込みそこで既に形成されているコミュニティに入って行く際、長年培うことでその一点において一般人よりも優れた状態になっている「何かしらの技術や知識」が役に立つ。ここで勘違いしてはいけないのが、技術や知識をひけらかすことでは仲良くなれないという事。正しい心で技術や知識を学ぶと人はどんどん謙虚になり、また同じように何かを正しく継続して学んでいる人を会話の中で見分けることができるようになる。例えば技術を向上させようと鍛錬を積む人が必ず当たる壁についても、大なり小なりのその壁を超えたことがある人は技術の向上が登坂のような緩やかなものではなくいつだって階段式である事を知っているので、これを知っている人同士はお互いの趣味の話ですぐに仲良くなれる場合が多い。

個人的な例だと私はエレキギターを20年以上、バンドを10年以上嗜んでいるので、同じように楽器やバンドを趣味にしている人はもちろん、他の技術や趣味を私と同じくらい継続している人たちや、私より経験の浅い人たちの気持ちがそこそこ理解できるので、磨けば磨くほど多くの人と仲良くなれるし、私より何枚も上手の、いわゆるそのジャンルにおいて私よりも頂に近づいている「趣味・技芸の先輩」に対しては相手が何歳であってもどんな人間性であってもその点において頭を垂れることができる。人間同士で信頼関係を構築するにあたり大切な要素のひとつになる「お互いを認め合う」事が人間性以外の部分で補えるのは、誰とでも仲良くなるというハードルを随分と下げてくれる。

「誰とでも仲良くする必要はない」という意見も多く、むしろ幅を利かせている現代と認識しているが、誰とでも仲良くなれる人間が強い人間であることは間違いない。考え事は極論で考えてから中心に戻ってくることでシンプルな答えにたどり着きやすいが、誰とも仲良くなれない人間と誰とでも仲良くなれる人間、後者が生きやすいことは明確なので「芸は身を助ける」は本当で、それは生活に困った時に助けてくれるのではなく、新しい環境に身を置いた時に助けてくれるのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?