見出し画像

近所の飲み屋

いつどこで知ったか忘れたが、スヌーピーか何かの話で「人生を豊かにするにはオープンカーと池を持つことだ」というような一節があり、座右の銘というほどのものではないがこの考え方は私の人生でどちらかというと辛い悲しい腹立つ出来事に心が支配されてしまわない為の転ばぬ先の杖として心の片隅、いやもう少し中心寄りに置いてある。晴れの日はオープンカーに乗れて楽しい(しかし池は干上がる)、雨の日は池に水が貯まって楽しい(しかしオープンカーには乗れない)という「人間万事塞翁が馬」の西洋的な例えと言えよう。そして今の私にとってこの環境を作り出すもののひとつが近所の飲み屋なのだ。


思い起こせば私の「近所の飲み屋」デビューは中学3年か高校1年くらいの時、近所と言える距離ではなかったが通学路沿いと言っても良い場所にあった小さな居酒屋だ。誤解の無いよう説明させていただくが、私が思春期を過ごした1990年頃の札幌は未成年飲酒もタバコも当たり前で、中学生が塾の帰りによく喫煙していたし、高校生が20人で居酒屋の宴会場を貸し切って大騒ぎしていたし、飲酒運転、タバコのポイ捨て、大人から子供への暴力(教諭から生徒への暴力やセクハラを含む)が当たり前の時代だったので、私がグレていたわけではない。未成年者の思考は生活環境に支配されるのだ。その居酒屋の名を「どんべえ」と言い、背は低いが昭和の暴力団を連想させる屈強なおやじと、柔和だが肝の強そうな奥様の中年夫婦が営んでいた。奥様が10歳ほど年上で、年齢的にも雰囲気的にも姐さん女房な仲の良い夫婦だったと記憶しており、おやじに「ビールばっか飲むんですね」と話しかけたときに彼が放った決め台詞「俺は酒はビールだけ、女はコイツだけ(奥様を親指で指して)」は、幼い頃の私に父が言った「男はガマン」の言葉と共にいつまでも記憶に残っており、私がビールばっか飲む根拠のひとつにもなっている。


そんな中2病を引きずる私の2020年9月現在の近所の飲み屋はかなり近い。インターネットの世界だと同じ市や隣町だったりするとご近所さんという表現になるが、これから紹介する近所の飲み屋は家の玄関から徒歩200歩(2分以内)という本物のご近所さんだ。現在住んでいる家を買った後、近隣で酒が飲める場所を一通り調べたのだが、その店は入口にドアが2つあり店内が一切見えず非常に入りにくく、私の入店を2年も躊躇わせた。初めて入店した時のことを店主も覚えていてくれているようだが私も覚えており、その夏の日は妻の実家で義父と飲んで気分上々、妻と息子はそのまま実家に泊まり私は電車に乗り、車内にいた緑のコガネムシ(よくカナブンと勘違いされるやつ)をTシャツにくっつけたまま帰宅する途中に酔った勢いで立ち寄った。

画像1

入口を開けて立ち止まり店内を見ると数名の常連客らしき人達が居たので、走って逃げるのを止め店主にビールの値段を聞く。私の警戒心は半分解かれたが、いざという時の退路の確保は忘れず入口に近いボックス席に壁を背に座り生ビール(スーパードライ)をガブガブ飲む。暑い日の生ビールは最高だ。警戒はどうした。コガネムシは私の腕から離れずお守り状態だ。そうか君が俺のスタンドか、小金色のオーバードライブか、という思考が駆け巡ったかどうかは忘れたが、常連さんも話しかけてくれて警戒心も完全に解かれ、楽しい飲み屋体験となった。しかし店内だったか帰り道だったか忘れたが、なんだか腕が痛いと思ってコガネムシをよく見ると私の腕を吸っている。酒と汗が混じった樹液ならぬ人液が皮膚から染み出しているのか随分美味のようで赤い痣のようなものが点在、報酬支払済でボディーガード契約解除とばかりに放したのであった。2回目以降のことは一切覚えていないがいつの間にか常連さんとも仲良くなり、私は土曜の21時30分過ぎに店にいる常連のひとりになり、かくして近所の飲み屋は行きつけの飲み屋になった。


これで妻と喧嘩したときに「頭冷やしてくる」とか言って飲みに行けるし、妻子が土曜の夜に妻の実家に泊まりに行ってしまって日曜の夕方か夜まで帰って来なくて寂しいような気がしても、二日酔いを気にせずじゃぶじゃぶ飲めるぜ!しかもギター練習してYouTubeに動画upできるぜ!と気持ちを切り替える事ができる。まさにオープンカーと池。

何より飲み屋にいる時の私はサラリーマンでもなく父親でもなく夫でもないただの飲み屋の客で、酒を飲みながら無責任な立場で無責任な会話をするという行為が私の仕事や家庭におけるストレスの解消に役立っており、偏屈な私の話に付き合ってくれている店主と常連客の皆様にはこの場を借りてお礼申し上げたい。コンゴトモヨロシク…


蛇足だが私にとって初めて「いきつけ」と呼べる店ができたのは、21歳から28歳の間にすすきのの居酒屋やニュークラブで5年ほど働いていた頃(たしか26歳だったか?)で、同い年の店主がほぼひとりで営業していたカウンター4席、テーブル1つとイス2つで6人も入れば満席のバーに週2くらいで通っていた。仕事が終わった後何もない時は深夜3時くらい、お客さんとのアフター(店終わってからの酒や飯の付き合い)がある時はアフター後の朝5時か6時、ひどいときには8時くらいに行っては、今思い出そうとしても全く思い出せない話題で老若男女の客と盛り上がっていたが、酒場での会話はその場で完結させるか若しくはすっかり忘れて、いずれにせよ次回に持ち越さないのが飲み屋常連客としての唯一のマナーなのかもしれない。

画像2

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?