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#1_「似合ってるね」の違和感

「その服似合ってるね」

ありがたいことに人に会うとよく言われる言葉。当然嬉しく思っていたこともあるのだけど。
最近は手放しに受け取ることに抵抗を覚えてしまった。

ここで言いたいのは、
似合う、似合わないの主導は誰か?っていう話だけど、

曲がりなりにも28年間、この身体と付き合ってきているわけで、
こと服に関して言えば、何を纏うべきかはある程度理解してるつもり。
それを踏まえて、新しい色や形に挑戦するわけだけど
挑戦→似合う/似合わない→購入&着用
の流れに介在する余地のある人間って、
あるとすればショップの店員か、恋人家族くらいじゃない?

でも僕らが「似合ってるね」と評価をもらうのって
実際に着用している時なわけで。

つまりは、自分が「似合っている」「意外とこういう色も自分に合うんだ」と
自己理解・納得をした上で手に取ってるんだから
そりゃ似合うに決まっているでしょう?

似合ってるね、なんて言うな!
とは全く思わないよもちろん。
褒められて嫌な人は当然いないし。

でも、その「似合ってるね」を常套句のように
思考を止めて言って欲しくないなとは思う。

前に僕の元同僚が同じようにnoteに
ネイルをしている自分に対して「女子力高いね」って言われて
その言葉が嫌いになった、って投稿してた。
当時は「ふーん」くらいでなんとも思わなかったけど、
今はすごくよくわかる。

褒め言葉に類するものなら
思考を止めて発しても害がない、と思ってるのなら
それは違うのかも。

褒める時こそ具体的に、
思考を回さないといけないのかもしれない

怒る時や非難する時って、
その人の特定の行動や考えに限定して発言をするけど、
褒めるっていう行為は人に限定せず
一般化しても受理されてしまうから。
それって実はすごい勿体無いことなのかも。

だから似合ってるね、って言葉一つ取っても、
似合うものを選び取る努力があるかもしれないし、
ものすごく失敗もしてきてるのかもしれないし、
なんだっていいけど
手放しに「似合ってるね」を投げかけられるくらいには
その人が頑張ってるのかもしれないって
思えるといいよねって話。

でも似合ってるって言葉以外に
なんて言うといいのかな。
難しいけど、ちゃんと言葉を紡げる人になりたい。


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