前回は、マネジメントの基礎を学んだ時期についてお伝えしました。
今回は、元々出世欲がなかった僕が、もっと高いポジションで仕事がしたいと思うようになったきっかけについてお話します。

3.11

東日本大震災。
あの未曾有の出来事は、僕の考え方を根本から変えました。

僕は、地震が発生した2011年3月11日14時46分は、航空公園店であのM口さんたちとの大荒れの週次会議が終わったばかりで、事務所にいました。
地震は所沢でもかなり揺れましたが、その直後に流れた東北の津波の映像には衝撃を受けました。
建物や車が一瞬で波に飲み込まれていく映像はSF映画のようで「大変なことが起きてしまった」と言葉を失いました。
亡くなられた方の無念さを思うと苦しかったし、生きていても、突然家や家族、大切な人を失って絶望している人を思うと胸が張り裂けそうになりました。

何かしたいのに何もできない

被災地の人たちは「本当に困っている人たち」です。
僕もこの人たちのために何かしたいと思いました。

でも。
「何もできない」という現実を突きつけられました。。

ボランティアで現地に行って、瓦礫の撤去のお手伝いや、泥をかき出す作業だけでもしたいと思いましたが、当時チーフトレーナーという現場メインの仕事で、シフトを放り出して行くことは現実的ではありませんでした。

それならお金や物資で支援したいとも思いましたが、当時の僕の薄給では、自分が生活していくことで精いっぱいで、それさえもできませんでした。
人並みの義援金は寄付しましたが、ソフトバンクの孫正義さんが、ポケットマネーで大金を寄付しているのを知ると「同じ人間なのに自分はなんて無力なんだろう」と情けなくて、恥ずかしくて、泣けてきました。

物心共に豊かに

だから僕は、この時「まずは自分が物心共に豊かになる」と決めたんです。
時間的自由と経済的自由がなければ「本当に困ってるい人たち」に手を差し伸べることができないと気づいたのです。

会社員でも、もっと意思決定できる立場だったら、自分の判断ですぐに行動することができるし、もっと高収入になれば、いざという時に多少は経済的な支援をすることができるようになります。
この時から「お金を人のために使えるようになりたい」と考えるようになりました。

これがキャリアアップしたいと本気で思うようになったきっかけです。

違う環境で腕試しをしたい

この会社では、プログラムディレクターとしても仕事をしていて、5種類のオリジナルプログラムを作って、マスタートレーナーとして、全体構成、コリオグラファー、社内認定試験官を担当していました。
この頃から「自分で商品を作る」ということを意識し始めます。

ビジネス的なマネジメント力は、まだ未熟さを感じていましたが、ここで培った現場力と勉強中のマネジメントを、違う環境で試すことが自身の成長とキャリアアップに繋がるのではないかと思い始め、その気持ちは日に日に強くなっていきました。

チャンスが訪れた

わらわらでの最後の1年は、ふじみ野へ異動して勤務していました。

その年、ある人から
「川崎市の溝の口にあるクラブで、支配人をやれる人材を探しているんだけど、青野君どうかね。」
とお声がけをいただきました。

わらわらは、5年以上お世話になり、成長させてもらった会社ですから、社内でキャリアアップして恩返しをしたいとも考えました。
さらに、長らく在籍していると、スタッフや会員さんとも信頼関係が築けて居心地が良くなります。

でも僕にとって、この「居心地の良さ」は成長を阻害する原因になってしまうのです。
僕は元々、すぐ楽な方へいきたがるし、すぐにさぼりたがる怠惰な人間です。居心地が良くて快適になってしまうと、そこに甘えて成長が止まってしまうタイプなんです。
それは自分がよくわかっていますから、居心地が良くなった時点で「新しい環境にいかなきゃ」という気持ちも強くなります。

それに、思っていたより早いタイミングで支配人をやらせてもらう千載一遇のチャンスだったので、溝の口へ移ることを決めました。

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次回予告

僕はお世話になったわらわらを卒業し、2013年1月から神奈川県の川崎市高津区にあるiva溝の口というクラブに支配人として着任します。
次回は、4社目のiva溝の口に転職した時のお話をしたいと思います。
今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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