前回お話をした日体刑務所(学生寮)は、1年で退寮しました。釈放です!笑
シャバへ出た2年生からは一人暮らしを始めます。

麹町学園バスケットボール部コーチ就任

この2年生になるタイミングで、麹町学園という女子校の中学生と高校生のバスケットボール部のコーチに就任しました。
多くの中学校や高校で、運動部の部活動はさかんに行われていますけど、その種目について技術的な指導や専門的な指導ができる先生がいないこともあります。そういった学校や部活動から、日体大の学生にコーチの依頼がくるのです。
バスケットボール部もあらゆる学校からコーチの依頼が来ていて、諸先輩方も代々コーチを受け持っていました。
そして3年生や4年生になって忙しくなってくるとコーチ業に手がまわらなくなるので、だいたい1年か2年で後輩に引き継ぎます。
僕も寮でお世話になった1学年上の先輩から依頼されて、コーチをすることになりました。

この麹町学園は、私立の中高一貫の女子校です。
バスケ部のレベルはというと。。。
初めて高校生の練習を見た時は「中学生にしては頑張っているな」と勘違いしてしまうような、いつも1回戦も突破できない弱小チームでした。
そんな第一印象から始まったコーチ業は、学生の時にした貴重な経験のひとつで、その後の僕のバスケットボールに対する向き合い方や価値観にパラダイムシフトが起きます。

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コーチ1年目

当時の東京都の高校女子バスケは1部~4部リーグに分かれていました。
1部が都内の上位16校、2部が32校(だったかな)、その下の3部が40~50校、それ以下が全て4部。
4部はチーム数も多くレベルの幅も広いのですが、我が麹町学園は4部の大会でも必ず1回戦で敗退するという最下層のレベルのチームでした。
高校生の練習を中学生と間違えてしまっても無理はないですよね。。。

ただ、この子たちは、やる気がないわけではないし、むしろ上手くなりたい、強くなりたいという気持ちを持っていて、素直ですごくいい子たちでした。
そして、今まで指導者や環境に恵まれていなかっただけだということが、すぐにわかりましたから、どうにかしてあげたいという気持ちが強くなりました。
この学校とのコーチ契約は、週に一回(土曜日)だけ練習を見に行けばいいことになっていたのですが、そんな低頻度では生徒との信頼関係を築くのも難しいし、築けたとしても時間がかかってしまいます。そしてなにより、それでは強いチーム作りはできないと思い、週4~5日通い続けました。

基礎練習をベースにかなりハードなメニューを組みました。
僕が今までやってきたものも応用しながら取り入れたり、都内の強豪校の練習や試合を見学にも行きました。
また、僕も大学生の現役プレーヤーとして体現できることが強みだったので、コートに入って一緒に練習に加わって率先垂範しつつ、ホワイトボートを使って解説をしたり、とにかく熱く一生懸命やりました。
ただ、時に熱くなりすぎて、大声で叱責したり、何故かそのホワイトボードやパイプ椅子が壊れてしまったこともあります。(壊れた理由には触れません。笑)
それでも、その熱意だけは生徒たちに伝わっていたようで、必死で食らいついてきてくれました。

練習でやったことを実践でどんどん試していこうと思い、日曜日は近隣の学校に片っ端から練習試合を申し込んで、他校に相手をしてもらいましたが、どこにも勝てませんでした。

秋の文化祭では、近隣の「東京家政学院」を呼んで、招待試合をしました。
文化祭の最中に校内で開催される試合なので、学校の生徒や教員、保護者の方々等、多くのギャラリーがいます。
この東京家政学院は同じ4部リーグだったし、僕は勝てないまでも、そこそこ競った試合ができるだろうと思っていました。

ですが、結果は80対36というダブルスコア以上の大差をつけられて負けてしまいます。
招待試合は、大会ではありませんが、負けた生徒たちにとっては、それまで僕の厳しい練習に耐えながら数ヶ月頑張ってきた成果を、応援に来てくれた学校の友達や親御さんたち見せたかった試合です。
大敗をしたことにショックを受けて泣き崩れている子もいました。
僕もその当時は、自分なりに一生懸命やっているつもりだったので、全然勝たせてあげられないことを申し訳く思い、悔しい気持ちでいっぱいになりました。

結局、僕のコーチ1年目は、練習試合を含め、公式戦も1勝もできずに終わります。
中学や高校の部活動は教育の一環としてあるものなので、勝敗が全てではありませんが、目標を持って頑張ってきた子たちだったので、勝つ喜びを味あわせてあげたかったのですが、たったの1勝さえさせてあげられなかったことを本当に申し訳なく思って、最後は零れ落ちそうな涙を堪えながら、ただ謝ることしかできませんでした。
それでも、その代の子たちは僕がコーチで本当に良かったと涙ながらにお礼を言ってくれました。

僕は当初から、1年で結果を出せなかったら、コーチを後輩に引き継ごうと決めていて、次のコーチ候補も決まっていました。
そのことを代替わりする新チームの子たちにも伝えてあったのですが、新チームの子たちが、
「この後、少しだけミーティングのお時間もらえますか?」
と言ってきました。
僕の送別会の日程の相談でもしてくれるのかと思っていたのですが、その新チームの子たちは、
「私たちの代でもコーチをしてもらいたいです。お願いします!」
と全員で言ってきたのです。
僕はそんなことを言われるなんて全く予測していませんでしたから、驚いて暫く固まりました。
その子たちのことは1年生から見てきたし、一定の信頼関係は築けていたとは思います。正直なところ、この子たちをもう1年見てあげられたら、もう少しなんとかできるんじゃないかとは思っていました。
でもそれを口にしたことは一度もなかったし、なにより僕は1年目でチームを勝たせることができず、自分の役割を果たせなかったコーチです。
そんな僕に、新チームの子たちが大事な次の1年間を満場一致で僕に依頼してきてくれたんです。泣
さらに、この子たちには、
「これは相談ではありません。お願いです!」
と真剣な目で言われました。
その目からは本気度が伝わってきて痺れました。
また泣きそうになっているのをバレないようにするのに必死で、
「わかった。ありがとう。」
と言うのが精一杯でした。

次回予告

ということで、1年で潔く身を引こうと思っていたコーチ業ですが、もう1年引き受けることにしました。
僕は、この1年間やってきたことを振り返り、猛省して、次こそ絶対に勝てるチームにすると誓い、バスケットボールそのものや、女子チームの指導というものについて再度勉強しなおします。

次回はコーチ2年目に得たことについて、お伝えしたいと思います。
それでは今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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