人生という教材
下書きに残っていた記事を公開します。
明誠高校で1回目の人生紙芝居をして以来、1年ぶり。
益田東高校は、約40%の生徒が県外生。スポーツ(特に野球)をするために地方に来る子が多い高校。
そんな部活中心の学校生活をしている高校2年生に、スポーツの文脈での人生紙芝居をしてほしいという依頼があり、お話させてもらうことになりました。
高校生に語った物語のアナザーストーリー的な感じで、内容や感想を記録として残しておきます。
人生紙芝居
小学生には「たつみせんせい」って呼ばれてるから、高校生に何て呼んでもらうかいつも悩むけど、ひとまずこれで。
大阪府出身の子がめっちゃ多かった。八尾市出身の子も結構いて、一気に親近感。2年前に来益した同士でもある。坊主頭が約40人、みんな弟に見えて可愛かった。苗字や出身で、弟のことがわかる子はわかり、ザワザワ。
幼少期から「なんで?なんで?!」となんでも気になる好奇心旺盛なところや、男子に負けないくらいのパワーがあって負けず嫌いなところは今でも変わっていない。
益田東高校で話をするということを家族に伝えると、弟の友達がいることが発覚。母に電話一本しただけで、いろんな人に連絡して聞いてくれて関係図をまとめて送ってくれた。こういう連絡情報網なところ見習いたい。
小4で始めた地域の子供会のソフトボール。今となっては私にとって「地域での活動」と言ったら、このソフトボールを中心にした子供会での活動がある。最初は「ソフトのルールなんか分からんから行きたいくない!(けど、親友に誘われて興味はある)」と約半年間言い張る私を半強制的にでも体験会に連れ出してくれた母には感謝である。こういった最初に一歩を後押ししてくれる存在は大切。「ちょっとやってみる」と「できた!」が生まれてあとは灯がついて自分でやりたくなる。社会教育コーディネーターは、子どもたちが勇気を出して最初の一歩を踏み出すことを後押ししたり応援する存在でありたい。
高校時代の「悔しさ」が全ての原動力になっている。このカタリ場がきっかけで久しぶりに会った人とご飯に行った。そこで「悔しいって感情分からんのよ」と言ってて、「私は悔しいは今でもエンジンになる感情だなぁ」と気づいた。
キャプテンとして...4番として...エースとして...チームから「期待」をしてもらったことが「プレッシャー」へと変換された。
「私がしないと」と抱え込み、仲間を信じられず頼れない自分。学校では頼ることなんて習わない。だからこそ、協働したり、自分から発信することを体現して今関わる子どもたちにも伝えたい。
将来の夢なんてなかった私。小2の文集に「お花屋さん」って書いたことは覚えてる。母の知り合いのお花屋さんによく行っていたからだ。
自分のように苦しむ高校生を支えられるような顧問になりたい。得意も苦手もあんまりなく平均的だったけど、唯一好きだった体育の先生になろう!と反面教師でひとまず決めた。
部活をする気満々で入学した大学。クラスの半分は国体とかインカレとかすごい成績を持っていた。今となっては、友達や後輩がオリンピックに出てたというくらい、周りの人たちはスポーツで輝いていた。
高校時代、部活も勉強もしつつバイトもした。働くということが楽しくて、大学でもバイトはしたい思っていた。両立できる部活を探した結果、3つの部活が候補になった。
「どれを選んだでしょう?」とプチクイズを出すと、思った以上にラクロスと答える子がいて「なんでわかるんや!?」と面白かった。ラクロス部に入部して約半年。親から言われたこの一言で全ては変わった。
え?!いまさら!??
「自分でそこまでしなあかんの?!めっちゃお金いるやん。」
部活しながらバイトとはいえ、これら全部を賄うには全然足りなかった。
父に泣きながら訴えた時、「ほんまに先生なりたいん?大学生の間は色々経験して視野広げるといいと思うで」と言われ諦めることができた。
自分で決めた道とはいえ、この時は周りの友達をこんな風に思っていた。
自分からスポーツがなくなると、何もなくなった焦燥感。「何のために大学行くんやろう。これから何していこう」と人生グラフを書くとここがどん底。
「ほんまに先生になりたいのか?なってどうしたいのか?」を考えるために、海外の教育に興味を持った時期もあった。
「一回海外行ってみる?一緒に海外旅行行こか」と今度は父が引っ張り出してくれた。それからバイト代が溜まっては友達と海外旅行に行ったり、体育の授業をしにカンボジアに行ったり、父の出張に付き添ってヨーロッパ旅もできた。語学力を上げたくて国内シェアハウスをしたり、セブ島留学をした。
いろいろ経験して、「で、どうするん?!」という時に休学して、教員以外の教育との関わりを模索する時期。つづきはこちらへ。
「スポーツ学部ってことは何のスポーツしてるの?」とスポーツ歴を聞かれることがイヤで「スポーツをしないスポーツ学部生」と名乗っていた時期。スポーツを創ることに夢中になった。
振り返って思うこと。それは、「辞めても死なん」「むしろ違う道が見える(創れる)」「これ(スポーツ)!!と1つに執着してたなぁ」ということ。「始めたことは続けないといけない」というわけではない。いつか終わりはくる。
最後に高校生に伝えたいメッセージ。今頑張っている部活や勉強、挫折することもあるだろうけど、やめて違う道を探してもいいよ、ということ。頑張れ!と後押しをする人はいるだろうけど、大学当時父が私に言ったように、違う道に行くことを後押ししてくれる人は(私にとっては)レアだった。こんなことを先生の前で言うことは恐れ多いが、しんどくても耐えろ!という体育会系の世界にこそこのしんどさはあるのだろうと思う。頑張りたかったら頑張ればいいくらいに思っている。
高校生からのメッセージ
ちなみに1年前の感想が下書きに残っていたので記録。
やってみて
高校2年生への授業は、まるで高2の弟に語りかけているような感覚になった。
スポーツ一筋、勉強は大嫌い、スポーツバカとも言われるらしい弟。
スポーツで充実も苦しみも味わった私だからこそ、伝えたいことがここに詰まってるかなと思います。
出会った高校生が、それぞれの場所で輝けますように。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?