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照れ臭いけれど夢を追うことについて話そう

誤解を恐れずに言おうと思う。生きていくのに夢は必要だ。

こんなこと語るのは照れ臭い。だからこそ、ふざけたくなるので、今回の記事はむしろ全くふざけない記事にしました。誤魔化したくないのだ。

前提としてここで言う夢は、寝ている間に見る夢ではなくて、憧れや希望としての意味での夢だ。

※本日のテーマは、夢の話。湘南ベルマーレフットサルクラブの紹介も相変わらずします!!!

『夢を追うことは本当に必要なんですか』

どうだろう。僕らに夢は本当に必要だろうか。

僕らのチーム、湘南ベルマーレフットサルクラブが掲げるクラブの哲学はこれだ。

『このまちの、夢づくり 人づくり』

僕らは夢をつくるのが1つの仕事らしい。

きっと、そのために試合に勝って、優勝したり、なんだりして、応援してくださる方々に夢を見せる必要がある。日々のフットサル以外の活動において、その勝負の経験を元に「諦めないんだ」「着実に歩みを重ねるんだ」「そしたら変わっていくんだ」と夢への歩み方を地域で示していく必要もある。

(湘南ベルマーレフットサルクラブは言葉を濁さずに言うと7~8年間の毎年下位の暗黒時代から、さまざまな努力によって、この数年上位で争うようになりました。地道な努力は成果を結ぶことも確かにあると証明できたし、多分クラブと一緒に夢を見てくれる人は増えた)

ただ、夢という言葉を語る上で一つ、大事だとおもっていることがある。印象的なフレーズだったので下記の記事から言葉を引用した。

いえ、夢を追うことは確かに素晴らしいことだと思います。それはそうだと思うんです。ただ、私が問題に思うのは、夢を追うことが過剰に美化されると、夢を諦めることが「敗北」として認知されてしまいかねないことなんです。

あえて大きな言葉を使うけれど、誰しも夢を諦めることはある。

現実は大きく、苦く、辛いことばかりだ。もう、これは無理だと膝をつくこともあるだろう。

ただ、その時にこそ覚えていてほしい。諦めたからって負けたわけじゃないのだ。

夢が持てないときだってあるだろう。そんな時も人生にはやってくる。

ただ、この記事にも書いてある通り、『一旦夢を追いかけたけれど自分はそんな子どものような段階は卒業して大人になったんだ』となったら、それは悲しい。

少し考えてみてほしい。それは、現実にただ私は流されるのだと、言ってしまっているようだ。自分が何をしたところで、何も変わらないのだ、と。

良くすることを諦めたらどうなる。想像に容易いだろう。緩かな崩壊が道の先には待っている。歯磨きをサボれば虫歯になる。現状維持だって、この世界は簡単には許さない。

ちょっとした夢だっていい。明日は早起きして、おいしいコーヒーを入れよう、とか。

それは何のため? 楽しい時間、幸せな時間を手に入れるため。

どうして? 少しだけ素敵な日々を送って、幸せに過ごしちゃだめですか?

いいじゃないか。それだって夢の一つだ。

そうやって、少しずつ、自分の現実を、自分の思う形になるように、1つずつ積み上げるのだ。

だから夢は必要だ。少しでも何かが良くできる、と希望があれば、人は生きていける。希望をと進むだめには、道を知らせるコンパスがあった方が歩きやすい。

夢は変えていいし、むしろ変わって行くことが多い。それを受け入れても悪くない。当然、一つの夢を邁進するのだって、それはそれで良いことだ。

そして僅かな夢が続けば、不幸な事故は減る。(最近そんな話題がありましたね)

あと、僕の個人的な意見として、1つぐらい大それた夢を抱えてみたら、より人生を味わえると思う。結果として、良い思いをできるかは保証できないけれど! 

でも、1度きりの人生、酸いも甘いもたくさん知ってみるといいんじゃないかなと最近強く感じる。幸せ以外を振払おうとすると、やることが狭くなって、視野が狭くなって、結果的に幸せは逃げていくと実感した。

新しい道を歩くことは幸福感につながるらしい。挑戦も一緒なんでなかろうか。

夢を追うという行動にはアクションが伴う。

よく居ますよね。大きな言葉だけを語り、何もしない人。批判だけして、何もしない人。これはありがちだ。僕もそんな時がある。みなさんだって胸に手を当ててみてほしい。苦笑を返してくれる人が多いだろう。

なかなか行動するのが難しい。言うは易く行うは難し。

ただ、行えば日々は少しずつ確かに変わって行く。

家の中のゴミを、気づいたらすぐに捨てる。とか。洗濯物をたたまなきゃ、、、を後回しにしない、とか。そしたら未来の自分に時間ができるし、そもそも『後でやらなきゃな、、、』のために割いている頭のリソースが減って、新しいことに集中できる。

でも、何のためにそんな地道なことをやる必要があると言うんだ。

それは、日々が少しでも楽しくなったり、充実したりするのを否定する人はいないと信じているから。

だから、そういったことが必要で、そうありたいと願うのは、未来の自分を良くしたいからで、そういったことも含めてが夢へたどり着く道だと僕は思う。

あと、これはもう語られつくして、かなり普遍的な話になっているけれど、トップアスリートとか、何かを為した人たちに多い共通点として、地道な努力を厭わないことがあげられる。びっくりするけれど、そんな人たちの多くは身の回りがきれいで、物事を不必要に後回しにしない人ばかりだ。あと、物事に執着する人も多い。恐ろしいほどこだわるんだ。細かいところまで。

『ごみを捨てた』『小さな違和感を見逃さなかった』『しっかり早起きした』『卵焼きを昨日より綺麗に焼いた』とか、小さな勝利を自分に積み重ねることは、自分自身の自信になる。自信がつけば、次の新しいことにトライするハードルが下がる。そうやって、人生の良いスパイラルは作っていける。

そういった行動の積み重ねが、夢へと近づくためには必要なんだ。

だからこういったことを、行動で魅せ、発信し、

地域に『夢をつくり』、

地域で夢を追える『人をつくる』のが、僕らのチームの仕事だと信じている。

だから、間違っても「明日の試合に勝てない」とかは言えないし(言いたくなる日は多分来る)、地域の問題を無視して、「あれは仕方ないことだから」という訳にはいかない。海岸線の後退だって目を反らしてはならない。(相模湾には後退している海岸がたくさんある)

何を出来るか考え、小さなことから動くのだ。負けたけど、次は勝てるように。上手くいかなかったけれど、次こそは上手くいくように。

僕らは、良くなっていくための努力をやめない。明日結果が出ないとしても、いつか変わる時を作るために歩みを止めない。

それは、フィールドの上でも、商店街でも、工場でも、海でも、山でも、抱えている問題と僕らは向き合っていく。できることから、コツコツと。突然すべて出来るわけではないし、何かが良くなれば、またどこかで違った問題は発生する。永遠にもぐらたたきなのかもしれないけれど、止めてしまったら、もうその時は僕も、僕らのチームも辞め時だ。そんなつまらないチームになるつもりはないのだ。

まとめ

僕らには夢が必要だ。

未来を少しずつでも良くなると信じて行動しないと、世界から幸せは零れ落ちて行く。

でも、何か、少しずつ積み上げて行けば世界は緩やかに姿を良い方に変えていく。そうじゃないかもしれないって?

やってみないとわからんだろう。少なくとも、為せさねば成らぬ、何事も。

だから僕はひたすらに語るし、チームも夢を掲げて旗を振ることを止めない。

明日や未来が少しでも良くなると信じて。

そんな夢を語るクラブと一緒に戦おうぜ!!!!(突然のダイレクトマーケティング)

湘南ベルマーレフットサルクラブはいつでもサポーターや協力者をお待ちしています!!!

僕個人の夢の話はまた今度。失敗についての話と一緒にしようと思います。

坂下

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