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「息の詰まりそうな子どもと立ちすくむ大人のマガジン」その後(1) 達成度評価について

先日発行した初の書籍「息の詰まりそうな子どもと立ちすくむ大人のマガジン」、おかげさまで、ゆるゆると出荷が続いております。ありがたい…。

感謝の意を込めて、最近の出来事や書き終わってからのエピソードをぼちぼち書いていきます。

「マガジン」では、大人の社会は子どもを守るどころか、子どもを過度に競争的なシステムに追いやっている、ということを書いた(第4章)。学習到達度を把握して自己改善することが目的のはずの定期テストのために、子ども自身が「もうぼく、限界です(p.34)」と吐露したくなるような状況に簡単に追い込まれてしまう。子どもたちを息の詰まる状況に追い込んでいるのは大人たちの善意だ。競争に勝とう、勝利しよう、勝ちたいのならもっとこうすべきだ。善意に駆動されてアドバイスやコーチをする余地は無限にある。なぜか? 彼らはまだ子どもなのだから。

競争は成長のために必要不可欠である、という考え方の呪縛はぼく自身にもまだ存在する。このことを痛感する出来事があった。つい先日のことだ。娘たち(長女6歳、次女4歳)がぼくにピアノを教えてほしいと頼んだので、ぼくは1冊の教本を用意して、百均で柄の違うシールを1シートずつ買い、娘たちにこう言った。「練習曲が1つできたら、楽譜にシールを貼ろう。」よくある決め事だと思ったからだ。1日目、まず次女が練習を始めた。指はドからファまで届く。初日にしては頑張っている。手もだいぶ動くようになってきた。集中して頑張っていたけど、20分で限界を迎えて、おしまい。次に長女が練習を始めた。次女に比べて体が大きく、指もドからラまでは届きそうだ。彼女はトランペットを吹けるので、譜面を読むことができるし、内容もすぐに覚えた。ものすごく集中して、1時間近くピアノを弾き続けている。みるみる上手になる。こりゃすごいと思って見ていたら、次女が泣きそうな表情で「お姉ちゃん、そろそろ練習やめてよ」と言い出した。理由を聞いたら、次女は「わたしだけ、シール貼れなくなっちゃうから」と答えた。

ぼくは自分でも知らない内に、ただ純粋に楽しみのためにやっている楽器の練習に、姉妹の関係性に、明らかな「達成度評価」を持ち込んでしまっていた。それが新たな競争のルールになることを、まったく想像せずに。

「息の詰まりそうな子どもと立ちすくむ大人のマガジン」
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未購入の方は、「辺境の思想生活(第二版)」と併せてぜひ。
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