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「息の詰まりそうな子どもと立ちすくむ大人のマガジン」その後(2)意見を言おうとすること

先日発行した初の書籍「息の詰まりそうな子どもと立ちすくむ大人のマガジン」の販促記事、第二弾です。

現在、本巣市根尾地域の小中学生は合わせて43人。彼らが通う小学校と中学校は2022年から「義務教育学校」として統合されている。保護者の一人にインタビューした内容を、マガジンに掲載した。引用して掲載する。

 2020年頃、教育委員会が、義務教育学校に関して、保護者対象の説明会を開きました。一部のPTA役員や自治会役員には事前に話があったようですが、私やほとんどの親さんにとっては、寝耳に水でした。説明会には、全校生徒と同数くらいの保護者の方々が、参加していました。私は、学校の統廃合には賛成でも反対でもありませんでした。ただ、知りたいことや不安なことがあっただけです。

 2時間の説明会は学校の先生による説明と施設見学がほとんどで、終了の5分前になって、ようやく質疑応答が始まりました。私の知りたいことは説明や施設見学では知ることができず、不安なことも解消されないままでしたが、予定されている質疑応答の時間はあまりにも短く、「私の意見や声は、求められていないんだ」と感じました。質疑応答が始まったときは、手を挙げにくい雰囲気でした。

 一人の保護者の方が「当事者である保護者や子どもの理解は得たのでしょうか、意見を聞いたのでしょうか」と質問して、学校の先生は「検討させていただきます」と返事しました。私は、「この場は何のためにあるんだろう」と思いました。でも、その質問を皮切りに、何人もの保護者から、次々に質問が挙げられました。制服のこと。教育のこと。部活動のこと。校舎のこと。通学のこと。 私は、「他の保護者の方々にも、いろいろな思いがあったんだ」と感じました。5分間では収まらないくらいの発言がありました。

 その後、保護者の有志の方々が、ワークショップを開催したり、子どもと保護者を対象にしたアンケートを実施してくれました。自治体や教育委員会との調整はかなり大変だったようですし、反対運動だと間違われたり、他の保護者から怒られたりもしたそうです。でも、アンケートの集計結果には、楽しみなことや不安なこと、学校への提案や要望など、多くの人の思いがびっしり書いてありました。全ての要望や希望が反映されることは難しいでしょう。でも私は、保護者と子どもが「自分の意見を言えた」と感じられたのであれば、良かったのではないかと思います。

引用元:『息の詰まりそうな子どもと立ちすくむ大人のマガジン』p.57

語り手の意見を(やや乱暴に)まとめると、「私は、ただ知りたいことや不安なことがあり、それらを対話によって相手に伝えたい。私の希望や不安のすべてを解消したり、学校運営に反映することは難しいかもしれない。でも、自分の思いは相手に伝えるべきだと思うし、もしかしたら解消されることもあるかもしれない」ということになる。ぼくは、語り手のこの姿勢を、民主主義(平等志向の意思決定プロセス)に通じる大切な要素がたくさん詰まっていて、とても尊いものだと感じた。

※そういえば、8月末には民主主義に関するオンライン読書会も開催するのでした。

「子ども」という文脈からは若干外れるが、最近、ぼくが行なっている別の事業に関する学会発表の準備を進めており、次のような原稿を書いた。

NPOが受益者の多様なニーズ・価値観に基づいた活動を実施する上で、NPOに関わる人々が受益者の多様なニーズ・価値観を把握することが重要である。一方で、現状は多くのNPO関係者にとって、共通の価値観として合意されていない「自分自身の価値観」に基づく発言ができる機会は限られている。先行調査として筆者らが実施したアンケート調査(n=198)では、NPOの代表者や理事に比べ、スタッフの方が「会議は議論でなく、報告が中心である」「受益者の思いや意向が、自団体の意思決定に反映されていない」「自分の意見や価値観が、自団体の意思決定に反映されていない」「意見を言いにくい人への配慮がされておらず、対等ではない」と感じている割合が有意に高いことが分かった。

今日の日本では、避けようのない地縁で繋がった集団(ゲマインシャフト)であれ、参加する人の自由意志によって形成された集団(ゲゼルシャフト)であれ、「言いたい時に、与えられた範囲を超えて、自分の意見を言える」環境というのは、そこまで多くないのかもしれない。

一体なぜ、ぼくたちは、口を塞いでしまうのだろうか? 冒頭のインタビューの中には、その理由の端々が描かれている。これも至る所で「よくあること」だ。

・そもそも意見を聞かれる機会がない
・意見を聞かれる機会がないことに慣れ切っている
・意見を言おうとすると、他の保護者から抑圧される
・意見を言おうとすると、敵対者だというレッテルを貼られる

大人たちがこんな調子で自分や他者の意見を大事にできないのなら、一般的により弱い立場にある子どもの状況についても、容易に想像できるだろう。

「大人が意見表明する権利」すら認められていない環境が、実際に地域や社会に広がっている中で、「子どもが意見表明する権利」を実現するために、ぼくたち大人がやらなくてはいけないことが、山ほどある。冒頭のインタビューで紹介したエピソードのように、心ある少数の大人による、名も無き民主主義の実践が、今後ますます積み重なっていくことに期待する。

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