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『人口減少時代の宗教の危機と対応』(勝本正實/いのちのことば社)

教会関係者の誰もが心に懐きながら、口に出すことをためらうことを、言ってくれたものだと感心する。私もどちらかというと、この側面を正面から論じるべきだと考えている。そう、教会の未来は暗い。閉塞感という言葉で打ち出した本もあったが、それどころの話ではない。閉塞ならばまだ存続する。だが消滅するとなると、話が大きく変わってくる。

ユニークな著者である。キリスト教の牧師相当の方であるが、仏教を深く学んでいる。神学校卒業後、立正大学で僧侶になる過程を修めているというのは驚きだ。さらに神道の学会にも加わっているというので、いったいどうなっているのかと思いたくなるほどだが、職務としてはキリスト教であることは間違いない。
 
本書は、日本本位の情況にあって、キリスト教会を主眼としつつも、仏教や神道がどうなっているか、どのように考えているか、こうした視点を、客観的に並べているということになる。仏教や神道を外部から眺めているわけではない。その内部から見て、日本での宗教の現場と展望を問うのである。
 
最後のほうで、結論めいたものとして、小手先の対処ではなく、また現状を見守るような態度ではなく、かつてと変貌した現代社会において、宗教ならではのできることを見出して、また宗教ができることを表に出すべきだという考えを述べるのだが、そのときにも、神道の良いところ、仏教のなすべきことを、いわば対等の立場にある宗教として告げている。そしてもちろん、キリスト教がどうするとよいのか、その強みとは何かということを意識させるべく、語っている。ここが、通常の教会危機の論者には真似のできないことだと思う。
 
それはそれは痛い思いをさせるような言葉が並んでいる。タイトルにもあるように、人口減少という現実と、宗教の消滅危機。人々も関心をもつことがなくなり、自分とは関係がないものとして遠巻きに見るのが当たり前の世相。教会関係者がこれを読むものとして、寺院や神社の内部で何が考えられ、またどう対処しているのかの模索。そして同じ課題を抱えるものとしてのキリスト教会の姿を突きつけてくる。読んでいて、気持ちのよいものではない。希望がなくなるような、痛めつける記事が満載である。しかし、だからこそ、これに向き合う必要がある。この現実から逃避していては、ずるずると落ち込んでいく、そして消滅するという道を逃れることができないであろう。自己欺瞞に陥ってしまうならば、まさに敵の思う壺である。考えようではないか。対処しようではないか。変わろうではないか。
 
キリスト教会が、仏教や神道とは異なり、社会から隔絶したものとしての矜持を保つだけではいけないのだろう。かつて社会運動をしていたキリスト教の姿に戻るのかどうか、それも分からない。但し、世の中で役立つことをしていたこと、地域の人々と共に働き、世の光となってきたような明治期からのキリスト教会の歴史は、決して誤っていたのではないはずだ。それと同じ形であるかどうかは別にして、新たな働きが期待されて然るべきではないか、そのために教会が人々の心を助けるためのメッセージを、明確に中心に据えて発信することが求められていると著者が言うのは、一つの大切な道であると思うのだ。
 
本書は、こうしろ、と命ずるものではない。自分の姿を見よ、と言うのである。これに背を向けては、確かに未来像は描けまい。まるで、ひとが救いを経験する過程のように、教会は、自らを知る必要がある、と突きつけてくるような本である。刺激を受けなければならないのは確かである。

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