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屁理屈ばかりと言われる子どもたちへ

こんにちは@tateshina_lifeです。

僕は小さい頃に両親から「屁理屈ばっかりこねて」と言われ続けてきました。子どもながらに理を建てることの何が悪いのか、理屈と”屁”理屈の違いは一体何なのか、悩みました。今日は昔の僕も含めて論理を大事にする悩める子どもたちに細やかなアドバイスを書いてみようと思います。

屁理屈をこね続けて大丈夫。
それは必ず君が生きていくための力になるから。

結論から書きましたが、理を建てることは、結論と理由、証拠の3点セットについていくつかの選択肢を準備して、相手との妥協点を探すということです。

自分と他人が全く同じということはありません。生まれつきの組成も、生きてきた環境も違います。人は社会の生き物です。社会は他人の集合体です。その中で生きていくためには他人と妥協する必要があります。

妥協とは、何かの物事を進めるにあたって、関係する双方の意見が食い違い、そのままではそれ以上の進展が望めそうもないときに、いずれか一方が自身の意見を取り下げたり、あるいは双方が互いに相手の意見を一部容認して、歩み寄りして、問題の打開を図ること。

ウィキペディア

世の中で一般的に使われている”妥協”という言葉には譲歩、負けると言った意味合いが含まれているように思います。辞書の意味をとると、妥協の結果には”進展”や”問題の打開”があります。ゼロサムゲームではありません。生きる智慧としての”妥協”です。

では妥協に至る秘訣は何でしょうか。

相手に”色々な可能性の中から最善の選択をした”と思わせることです。

色々な可能性として結論(とるべきアクション)と理由、証拠の3点セットを複数用意しておきます。そして自分にとって最善の選択について他のものよりも分かりやすくしておきます。これがテクニックです。

人間は慣れる生き物です。分かるものを選びます。結論が理念的に高尚であったり、その理由や証拠の論理が他のものと比較して強固であったとしても概念や言葉、論理の関係が難しければ相手の脳は不快に感じます。

失敗した結果が"屁”理屈です。

相手にとって分かりやすい結論と理由は数値で示します。やった結果として今よりも(相手の状態が)どれくらい良くなるのかを説明するのです。

証拠は理由を実例で説明します。全く同じ実例がなければ似たような結論と理由の構造になっているものを持ってくるのです(似たようなもを考えるコツはリンクからどうぞ)。

最初は屁理屈から始まるかもしれません。

それでも理を建てることを諦めないで下さい。

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