”できること”を仕事にしてはいけない理由
こんにちは@tateshina_lifeです。
自分ができることを仕事にしようとする人が多いと思います。このこと自体は間違っていないのですが、できることに希少性があるのか、幾らなのか、について定量的に説明できることを意識した方が良いです。
東京のような匿名化した都市に住んでいるとコミュニティに関する集いに招かれたり、偶然出くわしたりするケースがありますが、そこで良く目にしたのがこういうことを言う人たちです。
「私は人と人を繋げることが好きで、仕事にしたいのですが…。」
希少性について考えてみると、人と人とを繋げること自体は誰でもできます。自分の友人・知人同士を引き合わせれば良いのですから。そして、その対価が幾らなのか普通に考えれば多くはなさそうです。
ここからは厳しい言い方になりますが、このような人たちは本当に引き合わせることによって何か新しい価値の発生に貢献できているのかという「主体的性」に乏しい、もっと具体的に言えば「私自身が寂しいので人と人がいる場の中にいたい」なのだと思います。
僕が知る限り、人と人を繋げることで相応の対価をもらっている人は実在します。その人たちに共通するのは、引き合わせた場から価値を生み出すことに対して主体的に関わっていること、質や量を意識していること、この2点です。
ある友人は有名なコネクターですが、彼は東京の中でも入居費用の高さでは指折りのコワーキングスペースに場所を確保して、その中でイベントを主催・共催したり、繋いだ人が新しい挑戦をする際に力になる人を紹介したり、場合によっては自分で参加するなどされていました。
別の友人はコミュニティをつくる人を育てる、生み出すサービスで対価を得ていますが、主催・共催するイベントの数は日本一といえるほどのもので、新しく会う人や企業に対しては必ずその「量」についてプレゼンしていました。
価値を出すことに対して主体的であれ、ということです。
拝金主義みたいな感じですが、それで良いのです。
これができていないと「自己犠牲」に繋がります。自己犠牲とは自分を安く売ることです。それは自分を大事にしないことです。
また犠牲は相手に対する見返りを潜在的に期待する行為に繋がるため、本当は好きでやっていたはずのこと、相手が嫌いになることに繋がります。
できることを仕事にする前に一度客観的に量・質の観点から希少性があるのか、幾らもらえるのか考えてみましょう。結果として「足りない」場合に卑下するのではなく、どうすれば「足りる」状態に持っていけるのかを分析し、行動に移すことです。
行動すれば未来が拓けます。
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