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妊婦さん必見。コロナ下の里帰り出産【第27回マスクの向こう側】

<まえがき>今回は、妊娠7ヶ月目にして、緊急事態宣言を迎えた妊婦さんにお話をお聞きしました。目まぐるしく状況が変わるなか、感染対策と出産準備に追われる、過酷な状況が浮かび上がってきます。これから病院探しや里帰り出産を考えている方は必見です。

●職場や身近に迫るコロナの危険
●里帰りしたくても受入れ先が見つからない
●旦那は面会禁止。ガラス越しもNG

―自己紹介をお願いします。
群馬県で事務職をしています。家族は、旦那と保育園に通う子供、それからお腹の中に赤ちゃんがいます。出産予定日は7月です。今は産休を取って、子供と一緒に新潟の実家に里帰りしています。

―コロナを意識しはじめたのは、いつからですか。
初めて身近に感じたのは、3月末ですね。子供が通っていた保育園で、すべての行事で保護者参加が禁止されて、「えー!?」ってなりました。それまでは「コロナって前に流行ったSARSと同じようなものでしょ」って、危機感はほとんどありませんでした。1月、仕事帰りに旦那がマスクを大量に購入してきたのを見ても「そんなことしなくたって」と笑っていました。その後すぐに、お店で何枚までという購入制限がかかったので、正しかったのは旦那の方だったわけですが(笑)。

―緊急事態宣言は、生活にどのような変化を及ぼしましたか。
その後も普通に働いていました。車通勤だし、職場でもマスクを着用していたのでそれほど不安もありませんでした。変わったことと言えば、密になるのを避けるため、お昼ご飯を早めに買いに行ったことぐらいです。それが、社員の一人が体調を悪化して自宅待機になったことで、一気に危機感が高まりました。結局は何事もなかったのですが、それからは手洗い、消毒を徹底。日々、お腹が大きくなっていく中、仕事を続けました。5月末から産休を取らせてもらう予定だったので「それまではしっかり勤めあげたい」と思っていたのも大きいです。職場以外で言うと、赤ちゃんの健診に行っていた病院で、託児所が閉鎖してしまったのが大変でした。以前は子供を預けて健診を受けられたのですが……仕方ないので、健診の度に遠方に住む母にわざわざ来てもらい、子供を預かってもらっていました。

―コロナの危険を、身近に感じたことはありますか。
2度、あります。1度目は4月に職場が入っているビルで「濃厚接触者が出た」と聞かされた時です。もしかしたら、「一緒にエレベーターに乗ったりしていたかもしれない…」そう考えると怖くて。部屋のドアノブを回す際にも除菌するなど、かなり神経質になりましたね。まあ、結局はそれも何事もなかったんですけど(笑)。

2度目は5月、新潟へ帰るちょっと前のことです。突然、近所に住む旦那の祖父が肺炎になって緊急入院。PCR検査をすることになりました。GWに子供を交えて遊んだり、ごはんを食べたりした後だったので、「もし陽性だったらどうしよう…」「お腹の中の子供は…」とパニックになりかけました。検査結果は陰性だったのですが、それを聞いた時は嬉しくて、思わず、万歳をしてしまいました。

―コロナ対策の基本は「人の移動を抑制する」ことです。新潟に戻る上で、苦労はありませんでしたか。
最初は上の子供と同じように、里帰りして総合病院で産むつもりでした。でも「総合病院にはコロナの感染者もいるかもしれない…」と思い、別の産院も含めて、改めて探し直すことに。でも、県外からの受け入れだけに、そう簡単にはいきません。3,4院ほど問い合わせましたが、どこもみな「うちに来るなら、今月中には受診を」「返事は今週中に」と期限をつけられてしまいます。しかも、新潟県は受診制限が厳しく、来院前に県内滞在で2週間の待機期間を求められます。でも、当時はまだ4月で、産休取得の予定日まで1か月以上ありました。私だって、途中で仕事を放り出すわけにはいきません。里帰り出産を諦めかけていた時、追い打ちをかけるように、保育園もどうしても預けないといけない人向けの“特別登園”に切り替わってしまいました。「仕事を続けることはいけないことなのだろうか…」「どこで産めばいいんだろうか…」私は精神的に追い詰められてしまいました。

そんな中、いつものように保育園に行った際のことです。お世話になっている保育士さんに、子供を預けていいのかどうか相談してみたところ「出勤できる保育士が一人でもいる限り預かります!お母さんは心配なさらず、お仕事頑張ってください!」と思いもかけぬ優しい言葉をいただきました。涙が出るほどありがたかったですね。その後、「34週目までに来てくれれば受け入れる」と言う病院が見つかり、ほっと一安心です。職場のみんなが「こっちはいいから、早く休みを取りなよ」と後押ししてくれたおかげもあり、前倒しして産休を取得。5月初旬のタイミングで、新潟の実家に帰ることができました。今考えれば、本当に感謝しかありません。

―新潟での生活について教えてください。
まずは、2週間の自宅隔離からスタートです。と言っても、私の実家は田舎にあり、隣の家まで3,40メートル。ソーシャルディスタンスを意識する必要はありません(笑)。子供も最初こそ不安そうでしたが、すぐに従兄弟達と仲良くなり、今では一緒に走り回っています。こっちに来てよかったなとつくづく思います。時々、旦那も週末に来てくれることもありました。ただ、県外ナンバーだと分かると風当たりが強いので、できるだけ人目を避けてのことですが…。
出産予定は7月ですが、分娩の立ち合いはNGです。そればかりか県外者である旦那の場合、赤ちゃんに会うのにも、2週間の県内滞在による待期期間が必要となるそうです。つまり、普通に仕事をしている限りは、たとえガラス越しだったとしても赤ちゃんに会えない、ということです。旦那も楽しみにしているのですが、今はとにかく無事にさえ生まれてくれればという感じですね。

―コロナで、社会にどんな変化が出てくると思いますか。
難しいことは分かりませんが、“新しい生活様式”には色々と不安があります。たとえば、緊急事態宣言が出てから外食は控えていたのですが、6月の健診で病院に行った帰り道、母親と二人で、久しぶりに飲食店に入りました。でも、出された食事を無言で食べて、終わったらすぐに店を出ました。美味しかったのですが、なんか悪いことをしているような気がして落ち着かなくて(笑)。外食とか、旅行とか、そういう雰囲気を心から楽しむには、まだ時間がかかりそうな気がします。

―今後のことについて教えてください。
まずは子供が無事に生まれてきてくれること。それだけです。性別は分かっていますが、まだ名前は決めていません。顔を見て決めようかなって。子供の1か月健診 が終わったら、そのタイミングで群馬に一度戻りたいですね。旦那も早く子供を見たくてしょうがないでしょうし。あと1歳の誕生日頃には職場にも仕事復帰したいです。2020年は五輪もあるし、子供も生まれるし、こうなる前は「きっと思い出深い年になる」なんて笑っていたのですが、逆の意味で、忘れられない年になってしまいました(笑)。子供が大きくなったら、こういうことがあったんだよって、話してあげたいですね。

コロナ前後で大きく世界は変わると思います。1年後、5年後、10年後、「あの時、何があったのか」をしっかり振り返ることができるように書き残していきたいと考えています。フォローしてもらえるとすごく嬉しいです。twitterもやっています。

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