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宇賀村直佳さん(稽古ピアニスト) ライフストーリー【前編】

 ミュージカルに関わる方々への長編インタビュー企画『Into the Musical』がスタート!

 芝居・歌・ダンスの総合芸術といわれる究極のエンターテインメント、ミュージカル。この企画では、ミュージカルに関わるさまざまなセクションの方々に、これまでの歩みから仕事へのこだわりまで、じっくりお話を伺っていく予定です。

 記事を通して、ゲストの人となりや、ミュージカルの多様な側面を知っていただけたら幸いです。


 記念すべき最初のゲストは、稽古ピアニストの宇賀村直佳さん。

 今回はライフストーリー(※)【前編】。まずはピアノと共に過ごした幼少期から大学時代までの歩みを伺いました。

■ 宇賀村 直佳(うがむら なおか)

国立音楽大学卒業後、青年海外協力隊に参加。
2年間ザンビアの大学に音楽講師として派遣される。
帰国後は、数々の舞台で稽古ピアニストを務める他、ライブやイベント、ミュージカルでの演奏活動も行っている。
稽古ピアニストとしての主な参加作品に、『ミス・サイゴン』『レ・ミゼラブル』『エリザベート』『Tootsie』『VIOLET』『ベルサイユのばら~半世紀の軌跡~』『Endless SHOCK』などがある。




【他の記事へ】
1-2 ライフストーリー(後編)
1-3 ミュージカルの稽古ピアノのはなし(前編)
1-4 ミュージカルの稽古ピアノのはなし(後編)


【1】  ピアノとの出会い

「生まれる前から決まっていたんですよ(笑)」

幼稚園の頃、自宅前にて

 生まれは東京都町田市。人見知りで内弁慶だが、芯が強い子供だった。ご両親はもともと音楽に関心があったようで、「子供にピアノを習わせたかったそうです。だから、(ピアノと出会うことは)生まれる前から決まっていたんですよ」と笑う。

 とはいえ、当時、自宅にはピアノがなく、実際にそのきっかけが訪れたのは幼稚園の頃だった。
「私が友達の家のピアノで楽しそうに遊ぶのを見た友達のピアノ先生が、『好きそうだから、習わせた方がいいですよ』って私の母に言ったそうなんです」

手づくりの団扇を片手にポーズ
(幼稚園の頃、自宅にて)

 その後、国立音楽大学出身の先生に師事したことがきっかけで、小学校から高校まで同大付属で学んだ。


【2】  早くも将来を期待された小学生時代

「譜読みが早くて、苦労をしたことがなかったんです」

ピアノの発表会にて(8歳の頃)

 小学校時代には、早くも見事な指さばきでピアノの先生を唸らせたという宇賀村さん。
「私、指だけは動いたので、とにかく譜読みが早くて、そういう苦労を一切したことがなかったんです。難しい曲をバンバン与えられて、先生も将来を期待するぐらいのスピードで○をもらっていました」


【3】  初の大きな挫折

「逆に『自分にはピアノしかないな』って」

 しかし、中学に入ると、順風満帆だったピアノ人生で初の大きな挫折を経験する。
「中学で出会った先生に、習ってきたフォームや弾き方を全否定されたんです」

 そこから暫くは曲を弾かせてもらえず、指を1本ずつ上げるなど、形だけを訓練する日々が続いた。
「それまでピアノでは否定されないできたので、ちょっと弾けると思っていた基盤を崩されて、とてもショックでした」

 しかし、その強烈な経験によって、ピアノを続ける意思はより強固なものになっていった。捨てる怖さだったのか、やはり嫌いではなかったのか。その辺りの記憶は朧げだ。ただ確かなのは、好き嫌い以前にピアノはすでに自分の一部だったということ。
「やめるという発想がなかったんですよね。逆に『自分にはピアノしかないな』って」

 また、シビアな指導の中に、恩師の情熱をしっかりと感じ取ってもいた。

「レッスンは、先生がほぼ無言で横にいるという威圧感しかない時間(笑)。周りにはやめていく人もいましたが、私は先生の音楽への深くまっすぐな思いを感じたので、ひたすら付いていきました。結局、その先生には中高の6年間お世話になって、卒業後はすごく仲良くさせていただいています」


【4】  高校ではバンド活動を満喫!

「驚く位、好奇心旺盛になる時があるんです」

 高校時代はレッスン以外に、友人たちとバンド活動を満喫。
「キーボードと、ベースもちょこっと。DADAというロック寄りのバンドで、校内では結構有名だったんですよ。真面目に見られがちだったので、友達のお母さんにはびっくりされましたね(笑)」

 メインは芸術祭のステージで、ガンズ・アンド・ローゼズの曲などを披露。実は当時から、内気な反面、面白そうだと感じたことには臆せず挑戦するところがあった。
「思い切って飛び込んじゃう(笑)!自分でも驚く位、好奇心旺盛になる時があるんです」


【5】  授業と伴奏業を詰め込んだ大学時代

「今の仕事に目茶苦茶活きています」

 高校卒業後は、国立音楽大学リトミック科に入学。
 音楽デザイン、民族音楽など様々な分野に関心が湧き、本人曰く「単位を売れるほど(笑)」授業を詰め込んだ。また、そのスキルを買われ、仲間からのピアノ演奏依頼が絶えなかったという。
「作曲科の友人が書いた現代曲を弾いたり、試験の伴奏業もやっていました。その頃の経験は、今の仕事に目茶苦茶活きています」

大学の卒業演奏会にて

 ピアノを始め、邁進した幼少期。逆境の中で改めてピアノを選び直し、深い縁を確かめた中学校時代。そして、音楽と共に学生生活を謳歌した高校・大学時代。
 小中高一貫校から附属の音大に進学し、常に音楽と歩んで来られた宇賀村さんですが、お話を伺う中で、ただ漫然とレールの上を進むのではなく、自分の思いに正直に、粘り強く、しかし、決して守りに入ることなく前進する意思的な姿勢が非常に印象に残りました。
 次回のライフストーリー【後編】では、青年海外協力隊での活動や稽古ピアノとの出会いなどについてのお話をお届けします。どうぞお楽しみに♪

【企画・取材編集・撮影:Tateko】

※記事、写真の無断転載はご遠慮ください。


【前後の記事へ】

Vol.1-2 ライフストーリー(後編)
Vol.1-3 ミュージカルの稽古ピアノのはなし(前編)
Vol.1-4 ミュージカルの稽古ピアノのはなし(後編)


※ライフストーリーについて

ライフストーリーは、インタビューによる語り手(対象者)と聞き手の相互作用を通じ、対象者の人生を紐解いてまとめたものといわれています。現在、多くの分野で研究材料として用いられていますが、本記事はそれらとは異なり、読者の方に語りそのものを自由に味わっていただくことを目的としてまとめました。



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