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明治維新とは、本当に日本の夜明けだったのか?

※坂本龍馬画像 アマゾンより引用

明治維新とは

この一週間で、江戸中期以降に関する経済関係の本や、江戸期から平成に掛けての米価の推移を示す価格表を見る機会があり、一般的に言われている明治維新が日本の夜明けだったって考え方に対して、経済的な視点から見ると全く違って見えるな?って感じました。

忠臣蔵絵図

※忠臣蔵絵図

元禄期以前と以降の経済的な違い

元禄期以前は、確かに国全体を見ていて食べる事で精一杯でお金にしろ、食べ物にしろ余裕が無いって感じを受けました。
一方で加賀藩のように、経済的に余裕のある藩に関しては、独自の食文化を築いたり、先見性のある藩では、独自に特産品の開発や研究をやっていたようですし、1672年に龍野に脇坂家が入り龍野藩として入って薄口醤油を特産品として産業を奨励し現代にまで続いているケースもあります。
良く元禄バブルって話がありますが、実際には元禄期に入り幕政が安定期に入り、生活にある程度余裕が出てきてから国全体としてお金が廻り出したように思います。
一方で、国全体の経済的な余裕が出だしたり、農業技術の発展により、お米の生産性が向上すると、下級武士を中心に実質的な収入が減るので生活が厳しく成りました。

皮肉なもので、米が余り出すと武士の生活が困窮した

ただ、どこの藩も米価が下がり、収入が下がれば当然、新田の開発や農業技術の改良を行って米の生産量を増やそうとしますし、特産品や郷土料理の開発や研究を行って藩内の経済の活性化を行います。一方で、質素倹約を行って藩財政を建て直す努力を行って、藩内の役人の人件費を切り詰める一方で、能力のある人材の登用や有力な農家や商人に対して、名字、帯刀を認める事で収入を増やそうとします。
幕政の後期の化政期までは、何とかそれでも社会全体にお金が廻り、下級武士でも努力次第である程度豊かな生活は可能だったと思いますけど、人材登用や米の生産量の増加、藩財政の引き締めが続けば、当然上級武士の生活は厳しくなりますし、どこの藩も徐々に財政が厳しくなります。
この辺りは現代にも通じますし、経済が活性化したり、新たな社会のテクノロジーの改革が進めば、既得権が崩壊しますし、既得権者自体は社会に対して影響力がありますから、社会的な待遇の変化に対して不満を持ち出します。
ただ、それが庶民で有ろうが、既得権者で有ろうが、努力すれば経済的な部分で余裕が出る状況であれば、不満を言う前に努力しますし、仕事に必要な技術を身に付けるようになります。

黒船来航図

※黒船来航図

幕末期を経済的に見ると

ところが幕末期に入り、社会の仕組み自体が時代遅れに成り出すと、当然ながら努力しようが技術を身に付けようが、経済的な部分で余裕のある生活が手に入り難くなりますし、藩や幕府に関する社会的な信用度が徐々に低下します。
その辺りについて、一番問題があったのは、商人の貸出に対しての金利が、余りにも高すぎたにも関わらず、金利に対しての制限を幕府がしなかった事が正直一番の問題だったと思いますし、余りに経済的な制度が進み過ぎて、幕府や藩が既に管理出来なくなって来ていたように思います。
こうなれば、真面目に働こうが、技術を身に付けようが、生活は楽に成りませんから、為政者に対して不満を持ち出しますし、黒船が来る事で、日本人の知らない機械や科学技術、民主主義のような社会制度を一定の知識人は、当然ながら生活が厳しければ、その知識を入れようとする一方で、本当に生活に困窮した下級武士は過激思想に走り、場合によってはテロ行為を行うようになります。

尊王攘夷運動の別の一面

結果的に、当時の尊皇攘夷思想は社会制度を悪い方向へ破壊し、当時の日本の信用を破壊しました。
こうして考えると、確かに明治維新のような社会制度の創造的破壊は必要だったかも知れませんが、本当に日本の夜明けだったかどうかを考えると、当時の武士にとっては上から下まで生活が不可能な位に困窮していた事を考えれば、確かに日本の夜明けだったかも知れませんが、当時の一般人からすれば、非常に迷惑な話でもあったように思います。

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