20代・BTSオタクが日韓関係から「文化と政治は切り離せるのか」を考えてみた

今回のテーマは、

文化と政治は切り離せるのか

です。めちゃくちゃセンシティブなテーマなのに歴史の研究とか全くしてない、知識のない私が書いてもいいのかな…とは思ったけれど、せっかく表現の自由があるところで生きてるので、いち個人の意見と思って読んで頂けたらと。

はじめに言っておきます。
激長&激散らかってます!
ごめんな!!!!


ではでは。

はじめに

今回は日韓関係をメインに書いていきたい。日韓関係を持ち出したのは、私が防弾少年団(BTS)のオタクだからである。政治と文化の関連性について考えるようになったのは間違いなくBTSを好きになってからだ。
(BTSという)韓国を中心に、世界的に活動しているアーティストのオタクという状況下に置かれ、そこではじめて日本と諸外国(主に韓国)との関係性について意識させられるようになったのだ。


先日、韓国独立後の日本大衆文化の流入制限の解放からまだ20数年しか経っていないことを偶然知り、驚いた。

98年の解放を機に、
韓国には公式に日本文化が持ち込まれたし
同時期に日本にも韓国文化がたくさん流入した。(らしい)

日本のアニメやゲーム文化は、日本ならではの誇れる文化のひとつであり、韓国のみならず世界から認知されているものがたくさんある。BTSのメンバーもポケモンやデジモン、ナルトやスラムダンクなどを当たり前に知っていて、同世代である私はこの辺りの話が出ると一緒に会話したくなってしまうほど。
でも実は、日本文化は98年より随分前から海賊版などで非公式に韓国国内へ普及していたそうで、韓国政府が懸念していたほど(解放後だからといって)日本文化が爆発的に流行することはなかったようだ。


一方で韓国文化も私が物心ついた頃には日本に持ち込まれ、2000年以降定期的にブームを巻き起こしている。私が最初に韓国のエンタメを認知したのは
冬のソナタのペヨンジュン(ヨン様)だったと思う。
周りに熱狂的なファンはいなかったが、当時ワイドショーやニュースのエンタメコーナーでは彼の姿と彼の熱烈なファンの姿をよく目にした。ファンの年齢層なども起因し、その時の私にとっては韓流とは「オバさんがハマるもの」という感覚だった。

若者にも韓国文化が身近になったのは、東方神起やKARAなどのアイドルグループ(K-pop)がきっかけな気がしている。国は違えど、同じアジア人。イケメンと美女の基準は大体似ている。みんなお顔の整った人たちには注目する。そして何より、音楽というものはすごい。"音"は世界共通だ。音楽は言葉が通じなくても、住んでいる場所が違くても、同じものを共有できる。どんな音楽が切なくて、どんな音楽が楽しいのか、音とリズムで読み取ることができる。

やはり自分の子供時代を振り返っても、K-popの流入を機に、韓国のエンターテイメントはものすごく自然に日本の若者に受け入れられ、広まっていったように思う。自国のエンタメと日本の親和性が高いことがわかった韓国にとって日本は絶好のブルーオーシャンであっただろう。
当時の日本の音楽市場が世界的に見てもかなり大きかった(一時は世界イチだったっぽい)ことは有名な話だ。理由のひとつとして、サブスクが定着せず円盤文化が根付いていたことなどが挙げられる。今でこそ(ようやく)サブスクが定着したが、オタクには未だ円盤文化が根付いている。初回盤、通常盤、限定盤…それぞれ少なくとも3000円以上はするし、DVDやフォトカードをつければ単価1万円はゆうに超える。でも、オタクたちは全部買う。ゲーム文化と一緒に育った日本のオタク文化はものすごい。好きなものには自分の全てを注ぎ込み、熱狂的に推す。推しのためなら迷わず課金する。オタクは、めちゃくちゃお金を出してくれる。つまり……日本で売れて、日本にオタクを作ればめちゃくちゃ儲かる……ってコト!?!?(ちいかわ構文)ということに気付いたんだろうなと勝手に思っている。


本当に韓国のビジネスマンたちがそう思ったのかはさておき、実際私の友達も東方神起の熱狂的なファンとなったし、彼らに続いたBIGBANGなどの男性グループも「韓国デビュー」の後に「日本デビュー」を果たし、どんどん日本で成功していった。韓国エンターテイメントの日本進出は大成功だったのではないだろうか。2007,8年以降、当たり前のように韓国のアイドルたちは日本デビューをして、韓国でリリースした曲の日本語verを歌っていた記憶がある。

そして防弾少年団も先輩アイドルたちと同様に日本に売り込まれた。
彼らの名前を初めて聞いたのは私が高校生くらいの時だっただろうか。当時はBIGBANGが大流行していたし、そもそもその頃はJPOP派だった私は、友達の話を聞いても「防弾?変な名前〜」くらいで流していた。

(そんな彼らは数年後にBillboardの世界一位を獲るし、私の家は彼らのグッズまみれになっている。
何が起こるかわからないものだ。)

そんなわけで、わたしはK-pop(BTS)をきっかけとして韓国文化と触れ合うこととなったが、今は本当に接点がたくさんあると思う。

新大久保や鶴橋の韓国料理屋はいつも混んでいるし、韓国の美容意識の高さ(コスメや整形など)はTwitterでしばしば話題に上がる。
Netflixの配信ドラマは日本の視聴ランキングでよく1位をとるし、話題の図書には韓国人の著者のエッセイが並んでる。韓国ファッションや韓国人っぽい髪型がはやったりもしている。
コロナ禍になる前は韓国旅行だって日帰りで行けた。沖縄に行くより安く済むときだってある。

べつに何かのオタクをしてなくても、日常生活をしているだけで韓国文化が日本で流行し広まっていることが本当によくわかる、そんな今日この頃。

文化はものすごくナチュラルに浸透し受け入れられていっている。日本の若者はこう言った韓国文化を通して少なからず韓国に親しみを感じていると思う。
韓国の若者は日本をどう思っているのかわからないけど、私が話したことのある韓国の方は大体日本が好きだと言ってくれる。日本のアニメや漫画も好き、と。

こんなふうに一見親しみやすい関係にありそうな日本と韓国なのに、なぜ政治的には不仲なのだろう。文化交流と政治交流は別だから、とたかを括るべきなのだろうか。
でも、万が一この先日本と韓国が政治的に大きく対立したらどうなるんだろう。韓国料理は食べられなくなるのだろうか。韓国コスメは使えなくなって、Netflixで観れる動画も制限されるのだろうか。

「日本のファンの皆さんを愛しています」と言ってくれた推したちに「日本人は嫌いです」と拒まれる日が来るというのだろうか?

そんな不安がよぎったのが、日韓関係について考え始めたきっかけである。

BTSにハマってまだまだ日が浅いが、
Twitterで交流していると
なんとな〜く、日韓の話ってタブーなのかなと感じる。


以前とあるメンバーが、原爆が描かれたTシャツを着たことが物議を醸し、日本のテレビ番組への出演が見送られたことがあったようだが、私が彼らを知る以前の出来事だった本件は、まるでなかったことのようにオタクたちの間では誰も話すことも、掘り返されることもない。暗黙の了解で触れてはいけない話題という雰囲気がある。

ただ単純に好きを共有したいだけだから、そこに複雑なお話は持ち込みたくない、、、そういうことなのだろうか。

でもみんなは私のように不安になったことはないのだろうか。

昨今のウクライナ情勢のことは(呟かない人は関心がないと叩かれるのか?と言うくらい)オタ垢だろうと関係なくみんなこぞってツイートしていたのに、日韓関係についてはまるで触れない。
とかいってるとそれとこれとは別でしょう、と怒られちゃいそうですが。

とにかく、そういうモヤモヤすることが最近よくあるので、私は「タブー」に切り込むことにした。

日韓問題はなぜタブーなのか

そもそもなぜ日韓関係の話をするのがタブーとされてしまうのか。それは簡単に言葉にできないほど、あまりにもいろんな要素が絡み合い、複雑だからだろう。つまりこのテーマの結論となるが、

文化と政治は切り離せないから、だ。

日韓の関係性を語ろうとすると当然、その歴史に触れなくてはならない。その歴史こそ、触れにくいとされる本質なのではないだろうか。

わたしたち若者(一応20代なのでそう言わせてもろて)が日韓関係を軽々しく口にできないのは、あまりに重たい歴史が絡んでいること、知らない事実が多すぎることに起因すると考えている。


「お隣さん」事情

外交に関するニュースや新聞を見て、お隣さんというのは仲がよろしくないものなのだなと子供ながらに思っていた。
ある国のトップとそのお隣の国のトップが挨拶に来るとか来ないとか、会談で握手をするとかしないとか。そういうことが細かに取り上げられ、見出しとなる。当時の私にとってはそんなことで騒ぐもんなん?という感覚だった。

でもそんなことで騒がなくてはいけないほど、お隣の国同士というものはピリピリしているのだ。
ピリピリしてしまう理由をいろいろ抱えているのだ。

そもそも、隣というのは何かと気がかりである。

三国時代の高句麗と新羅と百済だってみんなお隣同士で喧嘩しあってたわけだし、もっと身近に噛み砕けば、関西地方は今でも「奈良は大仏と鹿しかおらん」「大阪の人らはお下品」「京都人は裏がある」「琵琶湖の水止めるで」とかすぐ言うし。(なんとなく西の方から殺気を感じたのでここでやめておきます) 
マンションのお隣の騒音は気になるし、電車の隣の人には携帯の画面を見られたくない。隣にはやはり、神経質になり、何かと気を遣う。



冗談はさておき、領地や資源を争っていた時代、普通に考えれば自分たちの勢力を増やすのに(同盟は別として)いきなり遠方を攻め込んだ偉人はあまりいないだろう。ジワジワと近くから食って勢力を増していく。となれば、最初の標的はお隣さんである。

海を挟んでお隣である日本と韓国。
例に漏れず争った過去があることは周知のこと。

日韓の歴史については、義務教育の範囲でしか学んでいないが、"それ"が常々良好であったわけではないということはわかる。


刻まれる記憶

大人になって振り返ると
歴史の授業というのは非常に一方的なものだったなと感じる。学校の授業はいつだって

「日本からみる日本の歴史(と、ちょこっとまわりの国について)」

みたいな感じだった。(日本史なので当然といえばそう。)自国にとっての悲劇や惨状はとても細やかに描写され資料集にも沢山写真があるが、日本が他国に対し犯した責められるべき、恥ずべき行為についてはさらっと書かれてさらっと触れられて資料集の端っこやコラムをさらっと見て終わりだったりする。

もしかしたら、そんなことはなかったのかもしれない。先生はちゃんと教えてくれていたのかも。資料集でも見開き1ページ使われていたのかも。でも、私の記憶には日本が犯した過ちよりも、日本が受けたとされる仕打ちや苦しみのほうが、残っている。これは、自分が日本人であるというアイデンティティを持ち、いまもこの国に住み続け、この国に少なかれども愛着を持っている以上仕方がないのかもしれない。人はいつだって自分中心である。自分たちが平和に暮らしている今日この時までに、自分たちの先祖がどんなことに巻き込まれ、どんな思いをしてきたのか。そう言う視点で学んでいた。

それに、教える側にとっても限られた授業時間で子供たちに何千年もの歴史を学ばせるには優先順位が必要なのは事実だ。塾の授業なんて目的が違うので、完全に試験対策である。

本来はこういうことを踏まえて多方面から同じ出来事を見る必要があると思う。さまざまな立場からのさまざまな情報を集め、客観的に物事を捉える。それができるのが大学だったりするわけだが、現代の日本の学生にとって大学とは「就職するために必要なパスポート」であり、はじめから明確な目的と学習意欲を持って学部を選び学ぶ人は残念ながらごく僅かだと思う。つまり、そこまでする人はほとんどいない。

授業で学んだことのうち最重要事項をテストされ、丸がついたものを「正しいもの」として理解する。都合の良いように書かれたものを都合の良いように捉え、入試に出る項目だけを効率よく記憶する。

そのような形で大学時代も歴史に関して知識を蓄えることなく、ぐうたらと過ごしてきた私が明治〜昭和初期までの戦争の歴史について記憶に残っていることをめちゃくちゃ雑にまとめると

「戦争はダメ」「原爆の話は唯一の被爆国として語り継がなければならない」

くらいだ。

私に歴史を教えてくれた学校の先生や、戦時中を生きた曽祖父母や祖父母、歴史を広く深く学んでいる人にこのことを伝えたらガッカリされるだろう。が、事実そんなもんである。

と、私の恥ずかしい知識量と甘すぎる認識を曝け出したわけだが、実際のところ、多くの国の多くの若者が私と同様なのではないだろうか。
自分たちの国が主人公であり、誇るべき英雄であり、悲劇のヒロインである。そこに関わる別の国で起きた惨状については教科書でチラッと目にする程度で、詳しくは知らない。記憶に残るのは、自国の行いの結果と、その教訓。そこに伴う自国の人々の苦しみ。

例えば、8月15日といえば何の日か。

多くの人が「終戦記念日」を浮かべるだろう。
日本人の私からするとこの日は戦争が終わった日であり、(終わった日といえども)決してめでたい日とはいえない。悲しみの終着点とでも言い表そうか、当時の日本人からすれば信じられない、絶望の日だったであろう。でもかれら(韓国人)にとって日本の終戦記念日は光復節だ。祝われるべき日なのだ。

8月15日は終戦の日です、という教えはあったが、韓国では祝日です、というようには教えられなかったように思う。

歴史の捉え方は、自分がどの国の民族かという意識や
情報量で大きく左右される。
同じ出来事でも、まったく別軸で捉えられているのだ。知っているつもりでいても、知らないことがあるのだ。

日本(わたしの国)と韓国(かれらの国)の歴史認識

※改めて申し上げますが、これは全て私の感覚に基づく私の意見であり、すべての日本人、韓国人の意見・考えを代弁するものではありません。

詳しいことは全くわからないが、日本と韓国は、それぞれの国がこの名前になるよりもずいぶん昔から交流があったのだろう。
それこそ、4世紀(三国時代、日本が倭とかだったころ?)くらいからその存在を意識する関係だったのかもしれない。文法や発音が共通するものがあるのも、互いに漢字にルーツを持つからであり、近しい関係に位置していたことは確かだ。

ただ、今日の日韓関係を語るにおいて、ということだけ考えた時に根底にあるのは明治後半の日本による韓国併合(実質的朝鮮支配)の時代からだろう。

日本(大日本帝国)が韓国(朝鮮)を長期において統治し、植民地化していた時代があることは知っている。その間日本が韓国の社会インフラの基盤を作り、同時に朝鮮人へ日本語教育をおこなったり文化の強要をした。その後、独立運動があったり、日本が第二次世界大戦に敗戦したことで完全に日本の支配下から外れたということもふわっと記憶している。

上記の通り、(日本視点の)歴史の一連の流れは把握しているが、その期間中朝鮮人が受けた抑圧の状況や、支配下から外れた後の朝鮮駐在の日本人と朝鮮(韓国)人との関係性、在日朝鮮人のその後などは全く知らない。

きっと韓国の方々は
日本から受けた抑圧や差別の実情を学校の授業で学び、当時を生きた年配の方のお話やメディアを通してリアルに感じ、その事実に心を痛めてきたのだろう。そして、誰もが日本に対して少なからず嫌悪感を抱いたことがあるのではないだろうか。私たちが原爆被害の話を見聞きするのと同じように、直接経験はせずとも、確かに胸がざわつき心が痛くなるようなあの感覚だ。

しかし、日本人である私はこのころの朝鮮人のことを聞かれても
朝鮮人が日本の文化や習慣を強要されたのだろうな
それはとても屈辱的だっただろうな
独立運動やってた期間長いな
というなんとも浅はかな憶測しか浮かばないのだ。

昔の、海の向こう側の、別の民族であるかれらの気持ちを深く考えたことは、ないに等しい。

こういうかたちで自分ごとに置き換えてみると、あの時彼が原爆Tシャツをきたのはきっと深く考えることしなかったからだ、というのが答えな気がした。

何度も繰り返すように
同じ頃の出来事もきっと捉えたかや認識が全く違うのだから。

じゃあ仕方ないよね、と言いたいわけではない。日本人の私からすればあの件は(当時経験したわけではないのに)とても残念に思うし、好きなアイドルグループがそんなことをしたなんて、、とショックを受けた。

彼は、自分の置かれている立場と影響力を理解し、想像力を持たねばならなかった、というのがあくまで前提としてある、私の意見だ。

だが、取った行動を責めるのではなく、なぜそのような行動に至ったかを考えたとき、朝鮮のルーツを持つ彼が原爆を落とされた時の日本人のことを想像できるような知識と歴史認識を教育の段階で与えられていただろうか? おそらく与えられなかった。だから、想像するに至らなかったのではないかとも思うのだ。

文化と政治

最初に記述した通り、あるものとあるものの関係を語る際は両者のヒストリーを辿る必要がある、というのが私の考えだ。

そして、歴史というのはとても幅をもたせたくくりで
文化も政治も歴史を構成する要素であり、欠けてはいけないものだ。文明や文化というのはその時のさまざまな時代背景があって生まれている。仏像は疫病が流行った時に政治の一環として建てられたし、黒船が来航して開国したから洋食文化が定着した。

政治があるところに文化は生まれたし、文化があるところに政治があるのだ、と思う。

BTSの政治的利用


いまの日本では、韓国文化が定着し、ひとつの経済圏としてそれなりの市場規模をもつようになった。
これだけ浸透していれば、それなりに日本経済への影響力があるのではないかと思う。

現にBTSの経済効果はものすごい額である。

政府系のシンクタンク「韓国文化観光研究院」は4月、BTSが新型コロナウイルスによる行動規制を受けることなく、韓国国内でコンサートを開催した場合、公演1回あたりの経済波及効果は最大1兆2207億ウォン(約1281億円)に達するとの試算を公表した。2022/06/29
毎日新聞  BTSが問う韓国兵役 「経済効果」と「重い国民義務」のはざまで より引用

いや1000億円て。バグ?(能のない感想)

彼らの言動が経済へ影響を与えるのは間違いないだろう。おすすめしなくたって着用アイテムはすぐに売り切れるし、普段どこでも購入できるはずのお菓子だって彼らがコラボした途端入手困難になる。

それだけの影響があれば、彼らはもはや「国の顔」であり、「アジアの顔」にすらなれる。ていうか、なってる。

昨年の今頃、UNICEFのキャンペーンで国連本部にてスピーチを行ったBTS。(もう1年前…)
めちゃくちゃストレートに言ってしまうと、
あれはBTSの政治的利用だ と私は思う。

ていうか、極端に言ってしまえば
ここ数年の彼らの活動の多くがそう言った政治的なところに少し絡んでいるような気がしている。

もはや、「アイドル」「アーティスト」と一括りにできないほどである。

いい意味でも、悪い意味でも彼らの一言で莫大な人の心とお金が動く。
普通の人ならなんてことない動作でさえ、すぐに批判されたり賞賛されたり、討論会のネタとなってしまう。

テヒョンさんがいつの日か
「自分達の描く活動ができない」
「あの頃(昔)が懐かしい」
「ファンに愛されているのかわからない」
そんなようなことをポツリというのも、この背景を考えるとなんだか納得してしまう。

愛してるよ〜 と同じくらい
批判の声は多いのだろうなと思う。

芸能人たるもの、そういうことがある前提でその金額のお給料を得て生きてるんでしょ!というのが基本の考えである私でさえ、心が痛む。(これは個人の考えなのでご意見は受け付けません)

もしBTSがこのまま普通にそこそこ売れたアイドルとして活動していたら、そんな思いをすることがなかったんじゃないかとは思うが、彼らがもし並大抵の売れているアイドルだったとしたら、きっと私は彼らのことをここまで好きになっていないし、こんなに色々考えることもなかっただろうなと感じる。


さいごに


なんだか話がずいぶん逸れてしまったが
結論をもういちど。

政治と文化は切り離せない。
切り離せないけど、適度な距離感が必要で
どちらかが干渉しすぎるのは良くない。
文化においてはリスペクトを忘れないことが大切。


なんじゃないかなぁ〜!!!
というのが私の意見です。
ただ楽しく推したい!そう思ってもそうはいかないのが異国の人を推しとするオタクの宿命と思っている。

世の中にはいろんな考え方の人がいて
過激な人もたくさんいるのです。
正面切って戦うこともかっこいいですが
スルーすること、逃げること、発言を控えることが無難な時もあるということを大人になってから学んだわたしです。


直近のホットな話題で言うと
最年長ジンくんの兵役問題など、まだまだ私たちオタクを取りまくセンシティブなことがたくさんある。

甘っちょろい考え方かもしれませんが、論点が国と国、文化と文化、政治と政治であったとしても、その先にいるのは人であり、それを忘れちゃいけないなと思います。
そのことをあたまの端っこに置いておくことで、心無い行動や無意識な差別、身勝手な発言が少しでも減ることを願っています。


もちゅ

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