海太郎、海を行く #3 昆布
「何がそんなにおかしいんだ!」
「おまえが人として、あまりにも薄っぺらいからだ。ぺらっぺらの薄っぺら人間だからだ」
昆布の分際で、なにを小癪な。ぺらぺらだと? どちらかといえば、見た目は昆布のほうが薄っぺらいだろうと海太郎は思った。
ほんの少しだけ上手いツッコミが閃いたら、口に出さずにはいられない。しかし、言い争いをしている相手にそれをぶつけたところで、確実にスルーされてしまうことぐらい、海太郎も過去の経験から、なんとなくはわかってはいる。
だが、言ってやりたい。言わなければ、せっかく閃いめいたのに勿体ないような気がする。海太郎は万にひとつの可能性に賭けてみることにした。
「おい昆布よ。薄っぺらいって、おまえの体の方がよっぽと薄っぺらいじゃないか!」
「さっきおまえは、俺たちのことをワカメ以下の存在だと言ったが、その根拠はなんだ?」
万にひとつの賭け。大失敗。おまえの体の方が薄っぺらい。案の定、完全スルーであった。万にひとつの可能性だから、失敗するのは目に見えていたが、言わなければ良かったと海太郎は悔いた。これだけ見事にスルーされるぐらないなら、なんだそのツッコミは、超絶つまんねえじゃねえかと言われたほうが、まだマシだったかもしれない。
「さあ、俺たちがワカメ以下である根拠を説明してもらおうか?」
スルーされたことなど、なんとも思っていないという姿勢を示すには、聞かれた質問に即答するのが何よりの得策であると海太郎は考えた。
「ワカメのほうが、おまえたち昆布より人気があるからだ。どう考えたってワカメのほうが、毎日の食卓に並ぶ確率が高い。お味噌汁にだって、ほぼ毎日入っている。昆布はせいぜい、おにぎりの具か、お節料理の昆布巻き程度でしかお目にかかれないではないか!稼働率が低い!低すぎる!」
瞬時にしては、我ながらわりと理詰めで、少々言い過ぎたかもしれないと海太郎は思った。だが、昆布はまったく意に介さず、彼の言葉をユラユラ受け流すどころが、一転、しなる鞭のような硬質体となって鋭い言葉を打ち返してきた。
「だからおまえは薄っぺらだというのだ。おまえは目先の事でしか物事を判断できない愚か者だよ」
「どういうことだ。それこそ根拠を述べよ」
「ワカメは、ほぼ毎日、お味噌汁でお目にかかれると、おまえは言った。だが愚か者よ。では、そのワカメのお味噌汁は、一体何でダシをとっている? 我々昆布ではないのか!」
いや、うちはカツオダシだと言い返したいところではあったが、実のところ、海太郎は、おっかあが何でダシをとっているのかなんて気にしたこともなかった。いいや、うちはカツオだね!と、突っぱねようと思えばそれも可能ではあったが、確信ないまま話を進めてしまうと、この先、嘘に嘘を重ねて行くことになり、やがて馬脚を露わすであろう自分が、海太郎は怖くなってしまった。
「おまえのような愚か者は、すべて目先でしか物事を考えられない。普段から飯を食わせてくれて、学費も積み立ててくれている両親には感謝せず、たまに会ってゲーム機を買ってくれた伯父さんにだけは、伯父さん大好き、僕は伯父さんの家の子になりたいとか言えてしまう愚の骨頂だ」
さらに昆布は海太郎に、物事の真理を見極める眼力を持てと説いた。目先の事象にとらわれ、流され、ナヨナヨしていてはいけない。シャキッと一本、筋の通った己の考えを持て、と。
海流に流されてナヨナヨユラユラしてるのは、おまえたち昆布ではないか、というツッコミも閃いたが、もはやそれを口にする気力は、海太郎には残されていなかった。昆布に言われたことすべて図星。見透かされているようだった。
「おまえは、周りへの感謝や愛情、礼節が欠けている。自分の事しか考えていない。だから昆布はワカメ以下などと軽く口にするんだ。酒のツマミに茎ワカメ最高などと、不躾に言えてしまうんだ」
いや、茎ワカメ最高なんて、ひと言も言っていない。だが、今はそこに拘るべきではない、昆布が言っていることを謙虚に、真摯に受け止めるべきだと海太郎は思った。
軽はずみな発言を許して欲しい。申し訳なかったと言って足ヒレを掻き出した海太郎を、昆布は呼び止めた。
「これを持って行け」
昆布が海太郎に渡したのは、一本の昆布だった。
「これからまだ生物に会っていくつもりなら、身だしなみぐらい綺麗にしとけよ」
海太郎は手渡された昆布を首に巻いて締めた。そういえば、ネクタイの締め方を教えてくれたのは、おっとうだった。あの時、成人式の日、自分はおっとうに、締め方を教えてくれてありがとうと言っただろうか? おっかあに、育ててくれてありがとうと言っただろうか?
足ヒレを掻いて次なる場所へ。
海太郎が振り返ってみると、昆布たちは相変わらずユラユラ揺れていた。だが、今度は誰も笑ってはおらず、みんなでユラユラ手を振ってくれてるように見えた。
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