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海太郎、海を行く #8 海女(アマ)ゾネス

イワシ共和国軍法会議において、危うく極刑を免れた海太郎は、そのままイワシ総合大学研究室の檻に移監された。

見張り番のイワシ二匹に、体をグルグル巻きにしていたふんわり柔らかいワカメを解かれたのち、彼らの尾ビレで、檻の中へと突き飛ばされた海太郎。

ここまで、一体どれぐらい洞窟の中を進んで来ただろうか。研究室の檻の中も真っ暗だった。目をぱちぱち開けたり閉じたり繰り返しても、見える景色は同じ暗闇であった。

そんな暗闇にも、やがて目が慣れていき、薄っすらではあるが、周囲の視界が開けてきた。

「ぎゃー」

海太郎の目は、同じ檻の中に、なにやら別の生命体の姿を捉えた。

全体的に薄っすら白い生命体…。巨大なイカか? いや、イカは海中を泳いでいる時は、もう少し透明な肌をしている。一体あれは…。

さらに目が暗闇に慣れてきた。

白い生命体の、

正体とは…!?

素潜り漁の海女さんだった。ぼんやり白く見えていたのは海女さんの衣装だったのだ。そこに居たのは自分と同じ人間。しかも女性。

こうした思わぬ状況で、日本人である海太郎がくちにした第一声は「こんにちは」でも「初めまして」でもなかった。

「あの… すみません」

「なによ」

返事が返ってきて、間違いなく人間であると再確認できた海太郎は安堵感を覚えた。いかにも不機嫌そうな声から察するに、自分と年齢が近い若い海女さんであることが窺えた。

「あの… もしかして、あなたも自分と同じように、イワシたちに捕まって、ここに連れてこられたんですかね?」

「そうだけど、だからなに?」

彼女が不機嫌なのも無理はない。おおかた、自分と同様、わけもわからないうちに、ここに連れてこられたのだろう。

男・海太郎からすれば、これはちょっとしたハッピーサプライズ…のはずであった。だが、初対面でこれだけぶっきらぼうな対応されたのでは、この先、間違いなく何もない。

この海女さんと自分は、

何もない。

何も起こらない。

何も発展しない。

海太郎の頭の中を「可能性0パーセント」の文字が踊った。

「すみません…。あの、お名前は?」

「は? なんで知らない人に教えなくちゃいけないの? しかも、相手に名前聞くなら、まず自分が名乗りなさいよ。常識なさすぎ」

「あ、すみません」

ひょっとしたら、先程の軍法会議の時よりストレスになるかもしれないと海太郎は思った。こんな不機嫌な海女さんと、いつまで同じ檻の中にいなければならないのか。

「ねえねえ、名乗ったら?」

会話は終了かと思われたが、海女さんは、それを許さなかった。いらぬ隙を与えてしまったものだと海太郎は閉口した。まるでクレーマーの闘志に、さらなる燃料を投下してしまったような気分だった。

名乗れと言われたが、ここは「海太郎」と答えるべきか、それとも、イワシたちのあいだでの通り名「ヘストン」と答えるべきか、思案のしどころである。

考えた末、のちのトラブルを回避する意味でも、ここは「ヘストン」で統一しておくのがベストであると海太郎はジャッジした。

「私の名前は、ヘストンと申します」

「へ、ヘストン!? あなた典型的な東洋人顔でヘストンとか、もしかして、あたしをバカにしてる?」

いえ、決してそんなつもりはと、海太郎がまごついてると、檻の外から聞き覚えのある声がした。

「ヘストン!ヘストン!」

ウルメ医師であった。

「ヘストン、こんなところに入れて悪く思わないでね。私はこのイワシ総合大学の研究室で、あなたたち人間の生態を研究しているの」

ウルメ医師の口調や物腰は、その他多勢のイワシたちと比べても、人間への敵意が、明らかに薄いように感じられた。

「この先、我々研究員と長いお付き合いになるかどうかは、ヘストン、あなたが我々の研究にどれぐらい協力出来るかに懸かってるのよ。おわかりよね? 本来であれば、あなたは極刑だったのだから」

そういえば、イワン将軍は、なぜ議会の決議を最後の最後、ウルメ医師のたったひと言で覆したのだろうか? 海太郎は聞いてみた。

「今は… 答えられないわ」

ウルメ医師は含んだ笑みを浮かべている。さっさと答えれば良いものを、こと若い男女の関係について聞かれると、わざわざ匂わせるように答えるのは、イワシの世界にも存在しているようだ。

ウルメ医師は、今度は海女さんの方に向き直って言った。

「海女ゾネス!海女ゾネス!あなたもよ。我々に協力する意思を、そろそろ見せなさい」

海女ゾネス!? この海女さんの名前は、海女ゾネスというのか?

ウルメ医師は海太郎に言った。

「この海女さんはね、我々に名前を教えないから、我々であだ名をつけたの。海女さんだから、海女ゾネス。そういうことよ。23歳で彼氏募集中。元彼のことはフッたていにしてるけど、実はフラれたらしいわよ」

ウルメ医師は聞かれてもいないのに、会ってまだ間もない海太郎に、海女ゾネスの醜聞をペラペラ喋って聞かせた。ゴシップに関しては、匂わせなしのド直球であった。

ウルメ医師が檻をあとにすると、海女ゾネスは、おもむろにくちを開いた。

「あんた… 本当にヘストンて名前だったのね。さっきはごめんね。疑ったりして。ちょっとイライラしてたから。許してね」

先程までとは打って変わって、しおらしい表情。そのギャップは、男・海太郎にとっては、紛れもなくハッピーサプライズであった。

これから、俺たちはどうなってしまうのだろうか?

海太郎の頭の中を「不安9割。海女ゾネスと何かある可能性1割」の文字が、鳴門の渦潮のように渦巻いていた。

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