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海太郎、海を行く #7 イワシの将軍

イワシの大群にワッショイワッショイされながら、海太郎は岩礁の中にある大きな洞窟まで連行された。

洞窟の中に入ると、突然、一匹のイワシによるオルガン演奏が始まり、大群が一斉にゴスペルの合唱を始めた。海太郎が振り返ると、イワシたちは全員、胸元の両ヒレで歌詞カードのようなものを抱えてうたっていた。

♪ 敬愛なる我らが命の父 将軍様

♪ その愛はマリアナ海溝よりも深く

♪ エーゲ海よりも美しい

盛り上がるオルガン演奏と、良い感じのサビを超え、もうそろそろ終わるかのような抑揚が過ぎても、合唱はわりとだらだら続いた。

♪ 父なる将軍様 あなたは あなたであり

♪ あなたは あなたではない 私自身である

♪ そう 我々は大群という名の個にあらん

海太郎が、うとうと居眠りを始めたところで、ようやく合唱は終わった。

すると、さらに奥へと続く洞窟の両サイドで、今度はズンドコズンドコ、勇ましい和太鼓の連打が始まった。ゴスペルの次は和太鼓…。洋なのか和なのか? よくわからないコンセプトに海太郎が戸惑っていると、洞窟の闇の奥から煌びやかな神輿が姿を現し、その頂上に一匹のイワシが座っていた。

隊長らしき一匹が膝まずき、こうべを垂れて言った。

「イワン将軍様〜」

大群も隊長らしき一匹に倣い、膝まずき、こうべを垂れて続いた。

「イワン将軍様〜」

どうやら、この神輿の頂上に鎮座しているイワンと呼ばれているイワシこそが、この大群の主のようだ。

それにしても…。イワシだから名前がイワンなのだろうか? だとすれば、なんという安直なネーミング。しかも、人間である海太郎から見ると、その他大勢のイワシたちと比べても外見に違いが見当たらなかった。彼はどうやって将軍の座まで登りつめたのだろうか?

イワン将軍がくちを開いた。

「おぬしが、人間のヘストンか」

偽名を使うことに慣れていなかった海太郎は、うっかり反応するのが遅れてしまった。

「そちに問うておるのじゃ。おぬしがヘストンか?」

「あ…。いかにも!拙者ヘストンと申す!」

「なるほど。ではこれより、われらイワシ共和国憲法に則り、人間であるおぬしの処遇に関連した軍法会議を執り行う」

イワン将軍が座る神輿の下に三つの机が用意され、いかにも識者然としたイワシが一匹ずつ席に着いた。それはまるで、クイズ番組の解答者席のようだった。

「ではまず、イワシ総合大学のイワタ教授の見解を聞かせていただこうか」

イワン将軍に促され、一番左の席に座っているイワタ教授がくちを開いた。

「将軍様、これは実に由々しき事態でございます。このような汚らわしい人間が、我々イワシの領海を侵犯してきたとなると、もはや時間の問題。近々に我々イワシの大群は、いずれ人間たちの手により一網打尽とされてしまうでしょう。一刻も早く、このヘストンなる人間を…極刑に処すべきであります!」

「そうだそうだ!今すぐ執行だあ!」

傍聴しているイワシの大軍からも一斉に野次が飛び、海太郎の背中に浴びせられた。

「静まれ静まれ!…ふむ。では、カタクチ卿は、どのようなお考えか?」

続いて、真ん中の席に座る、かなり年配とおぼしきカタクチイワシが意見を述べた。

「わたくしもイワタ教授が仰った極刑が妥当であると考えますが、どうせ極刑に処すならば、我々の直近の外敵である、クジラへの生け贄として差し出してはいかがだろうか? さすれば、クジラたちも暫くは我々に手出ししないと予想されます。つまり、外交の切り札として、このヘストンとやらを利用するのです」

「なるほど。クジラたちとの取り引きか。では最後に、ウルメ医師の意見を聞こうではないか」

「はい。将軍様」

一番右の席に座る、医者であるウルメイワシの声は、若い女性の声であった。

「将軍様。わたくしの考えは、先輩諸氏の考えとは異なり、極刑には賛同しかねます」

「甘い!甘すぎる!」

イワシの大群からは大ブーイングが巻き起こった。

「ええい、静まらんか!」

イワン将軍の一喝で、議会は、海太郎が鼻から噴出する気泡の音すら聞こえそうなほどの静寂に支配された。

「ウルメ医師よ、続けたまえ」

「将軍様。医師の立場から申しあげますと、やはりこのような人間のサンプルは大変貴重であります。このままイワシ総合大学の檻に入れて、今しばらく、その生態観察を進めていくべきであると考えます」

ざわつく洞窟内特設議会場。イワン将軍は、なにやら思い悩んだような表情であったが、やがてくちを開いた。

「議員諸君の意見はよくわかった。では、これよりイワタ教授、カタクチ卿、ウルメ医師の三氏による多数決の決議に入る!」

さ、三匹だけで多数決かよ!これだけ無数のイワシがいるというのに!

海太郎は卒倒してしまった。極刑か? それとも生態観察か? たった三匹で決めるには、明らかに旗色が悪かった。

「三氏には挙手による票の提示を願いたい。では…人間ヘストンの極刑を望む者!挙手!」

イワタ教授とカタクチ卿が胸ビレを挙げた。

「では、生態観察を望む者!挙手!」

ウルメ医師だけが胸ビレを挙げた。

「以上!多数決により、人間ヘストンを極刑に処す!日時について、またその手段については、従来の方法であるか、クジラへの生け贄とするか、追って通達する!」

マ、マジかよ…。自分は、ただイワシたちに、あれはペットボトルだと教えただけじゃないか。悪い夢でも見ているのだろうか? 海太郎は、足元に転がっていたウニを試しに軽く踏んでみたが、やはりチクチクして痛かった。これは夢ではなかった。

イワシの大群からは大喝采。これにて議会は閉会…と思われたその時だった。

「お待ちください、将軍様」

ウルメ医師の声で、一帯は再び静寂に包まれた。

「なんだウルメ医師、どうされた?」

「将軍様。刑の執行には、わたくしめの父の署名捺印が必要であることを、まさかお忘れではないでしょうね?」

「ウ、ウルメ医師…。そなた、何を申すか!」

憤懣やるかたない表情のイワン将軍。彼はおそらく独裁者であるはずだが、どうも様子がおかしい。

海太郎は、イワン将軍とウルメ医師との会話に、なにやら泥々とした人間関係…もとい、イワシ関係を垣間見た気がした。

すっかり狼狽したイワン将軍は、イワシの大群に向かって声を張り上げた。

「今宵の議会における決議については、一部を保留とする!以上!これにて閉会!」

海太郎はウルメ医師と目が合った。ウルメ医師が自分に向かって微笑み、そしてウインクをしたように見えた。

極刑は免れたということか?

ぞろぞろと議会場をあとにするイワシたち。その隊列の中にいた子供のイワシ、わんぱくそうなチビッコイワシの呟きが、海太郎の耳に届いた。

「ちぇっ、将軍もなさけねーなあー」

「これ!この子ったらなんてことを…」

チビッコイワシが母親イワシの尾ビレで頭をはたかれている姿を見つめながら、海太郎は、ただ茫然と、その場に立ち尽くしていた…。

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