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ドラキュラ ノート(1)

 「ドラキュラとゼノフォービア━」という記事では、『ドラキュラ』が書かれた19世紀後半のイギリスの社会不安、外国恐怖症が作品にどう反映されていたのかを書いてみた。
 今度はブラム・ストーカーが『ドラキュラ』の創作ために、どんなことからインスピレーションを得たか、書いてみたいと思う。

吸血鬼小説

 『ドラキュラ』の前にも、吸血鬼を題材とした小説はあった。そのうち、ストーカーが影響を受けたと思われる作品を紹介しよう。

『吸血鬼』The Vampire ジョン・ポリドリ

 1819年にイギリスの「マンスリー・マガジン」に発表された短編小説。原題は『吸血鬼の物語』The Vampire ; a Tale。

 1816年、スイスのジュネーヴ湖畔のディオダティ荘で、ジョージ・ゴードン・バイロン、バイロンの侍医ポリドリ、詩人のパーシー・ビッシェ・シェリーと愛人(後に結婚)のメアリー・ゴドウィンが皆でそれぞれ怪奇物の小説を書こうという話になって、その時バイロンが語った話を元に、医師のポリドリ博士が作品に仕上げたものである。

ジョン・ウィリアム・ポリドリ
(1795~1821)
wikipediaより

 因みに、シェリーは作品を作れなかった(繊細な彼は怖い話は苦手だったらしい)が、メアリーが『フランケンシュタイン 現代のプロメテウス』(1818)を書きあげている。

 ポリドリ博士はバイロンの友人だったが、何か仲たがいするようなことがあったらしい。(扱いがひどかったとか冷たく扱われたとか。具体的にどういうことかはわからないが)。悪の吸血鬼ルスヴン卿は偶然とは思えない程、バイロンに似ていて、これはポリドリの復讐だという。

 文体はバイロン風で、当初バイロン作として発表された。これは初版の間違いだったが、出版社はバイロンのままの方が儲かるので(!)そのまま版を重ね、翻訳もされた。ゲーテなど、すっかり騙されて「バイロンの最高傑作」と評した。

ジョージ・ゴードン・バイロン
(1788~1824)
wikipediaより

 放蕩者で悪魔的な美青年貴族のルスヴン卿(途中からマースデン伯爵と名乗る)は、それまで生き血を求めて墓からよみがえり、さ迷い歩く呪われた死体に過ぎなかった怪物を、ロマン主義の神秘的なイメージに向上させ、後の吸血鬼物語に大きな影響を与えた。もちろん、ドラキュラ伯爵もその影響のもとにある。

 余談だが、続編と称する作品がフランスで勝手に出され、演劇もシャルル・ノディエによってつくられた。ルスヴン卿は人気キャラだったのだろう。
 アレクサンドル・デュマ(大デュマ)は故郷からパリに出てきたその夜に、ポルト・サン・マルタン劇場で、ノディエの『吸血鬼』を観たという。その時、すぐ隣の席にいた紳士が劇に難癖をつけ、あまりにうるさいので劇場から追い出された。あとから、それがノディエ自身と知ったそうである。
 それからおよそ三十年後、デュマによるポリドリの原作を基にした劇作がパリで上演されたということだ。

 ポリドリの『吸血鬼』は、演劇にも影響を与えた。芝居にうってつけの題材だったのだ。
 そして、無類の芝居好きでライシアム劇場のマネージャーでもあったストーカーも、最初から『ドラキュラ』を芝居にしようと考えていたのは間違いない。現に本が出版されるより一足早く、ストーカー自身が脚本を書いて芝居にしている。
 ただし彼の脚本は長すぎて(上演時間四時間!)一度きりの上演だったようだが。


『吸血鬼ヴァーニー』Varney the Vampire 匿名(ジェイムス・マルコム・ライマー)

 1847年に出版された長編小説。原題は『吸血鬼ヴァーニー、血の饗宴』Varney the Vampire, or the Feast of Blood.
 著者は匿名で発表された。長くトーマス・プレスケット・プレスト作とされてきたが、近年の研究ではジェイコム・マルコム・ライマーが作者とされている。(共著という説もある)
 900ページ近くもあり現存する本が少ないために幻の作品と言われ、ほとんど忘れられていたが、1970年代に再発行されている。(日本語完訳版が2023年に出ているそうだが、筆者はまだ読んでいない)

吸血鬼ヴァーニー初版の表紙
wikipediaより

 週刊誌の長期連載だったせいなのか、物語もキャラクターの設定も首尾一貫していない三文小説だが、鋭い牙を持ち、犠牲者の首筋に二つの歯の跡を残す。犠牲者を催眠状態にして襲うなど、後の吸血鬼小説にも影響は小さくなかったという。

 『ドラキュラ』への影響だが、寝室の窓から侵入するとか、ヴァーニーが東欧の貴族であるとか、嵐で難破する船でイギリスに漂着するなど、よく似たプロットが出てくるそうだ。


『カーミラ』Carmila シェリダン・レ・ファニュ

 1872年発表の短編集『グラスの中に暗く』In a Glass Darklyに収録された。作者のシェリダン・レ・ファニュはアイルランドの作家。

 『カーミラ』は吸血鬼物語の中でも、最も重要であらゆる吸血鬼文学の母体の一つと評価されている。

その静謐なエロティシズム、吸血行為に託されたレズビアニズム、そして清新なゴシック的雰囲気によって、この作品は不死者の物語の構造を一新し、無数の作家に影響を与えた。

『吸血鬼の事典』マシュー・バンソン 和田和也訳   
青土社


ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュ
(1814~73)
wikipediaより

 同性愛志向の女吸血鬼カーミラは、演劇よりも映画に影響を与えた。カール・ドライエルの『吸血鬼』(1932)、ロジェ・バダムの『血とバラ』(1960)、スぺイン映画の『カルンシュタインの呪い』(1963)、イギリスのハマー・フィルムによるカルンシュタイン三部作などである。

『カーミラ』の挿絵

 ストーカーも同郷の先輩作家の書いたこの作品に刺激され、吸血鬼譚を書こうと決意したという。『カーミラ』が無ければ『ドラキュラ』は生まれなかったかもしれない。
 ストーカーの残した『ドラキュラ』の創作ノートによると、当初吸血鬼の城はカーミラ(ミラーカ・カルンシュタイン伯爵夫人)と同じ、スティリアに設定されていた。ストーカーが『カーミラ』をリスペクトしていた証である。


 






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