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【美術さんぽ。】「KURAMATA 倉俣史朗のデザインー 記憶のなかの小宇宙」

倉俣史朗のデザインー記憶のなかの小宇宙
2024.6.11- 8.18
京都国立近代美術館

今日はラッキーだった。
常設展を観ようと出かけたのだが、窓口で「倉俣史朗のデザイン」のチケットですね、となり、会場へ。

《ミス・ブランチ》1988

倉俣史朗イコール《ミス・ブランチ》という少ない認識だけだったが、とんでもなく豊かな世界観を持った人だった。そして素敵な文章を書く人だった。

展示されている「家具」と、そこに至った自分の想いやストーリーが文章とともに展示されている。
アイディアの源である「夢日記」はとりわけ重要な部分だったようだ。
夢の内容を言葉とスケッチで記してある。掴みどころのない朧気なものが出発点なので、デザインのストーリー性により幅が出るんだろうな、と想像してみる。

小さなころの記憶から着想した、引き出しのイメージ。
文字通り家具の「引き出し」。そうそう確かに、思いもかけないものを探すわくわくな要素が引き出しにはある。
《変形の家具 Side 1》(1970)を見ると、縦長に曲線を描いている引き出しは、どれひとつとして同じ形をしていない。引き出しを開けるどきどき感が倍増されそうな家具だ。

ここまで書いて、20年以上前の記憶がよみがえってきた。
確かにあれは、アサヒグラフの『倉俣史朗 「夢」』だった。カメラ屋のアルバイト中にカウンターに隠れて読んでいたら、各店舗に一日に1回来る社長に注意されたんだった。それに、誰もいないときカウンターに隠れてカレーパンを食べていた時も社長に注意されたんだった。

「言葉では語れない部分を形で言おう」。
完成の設計図があるデザインの分野は、ある意味、着想から一直線に成し遂げることができるのかもしれない、と想像する。それは「言語化」できるような明確な段階を踏んで、完成に向かって駆け上るようなことかもしれない。倉俣史朗は”含み”や”揺らぎ”を内包したデザインに重きを置いたのだろう。それは「家具」が限りなく「作品」に近づいた形だと思う。

「家具」を観て、文章を読む、「家具」を観る。
行ったり、ぐるりと回ったり、壁に近寄ったり。
心地よい展示だった。
人の動きすら揺らぎを持っているようだった。




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