実録 私の可能性〜自分に学ぶ生き方のヒント〜⑩

子どもの頃、
ジグソーパズルにハマっていた時期があった。

2000ピースのパズルを親に買ってもらい、
地道にコツコツと
仕上げていくのが好きだった。

まず
外堀を埋め、
次に同色系のピースごとに分類。

そして
試行錯誤を続けながら
ピースをつなぎ合わせていく。

時間も手間もかかることに
私はどうして没頭していたのか。



パズルの醍醐味は3つある。

ひとつめは、
たったひとつのピースを探し出すために
多くの時間と労力を費やす点。 

ふたつめは、
ピースが合致した瞬間に
嬉しさがこみあげてくる点。

そして3つ目は、
完成すると
大きな達成感を味わうことできる点。



目的とするピースをすぐに探し当て、
たやすく仕上げることができるのであれば、
ここまで
熱中することもなかっただろう。


今思えば
パズルから学ぶことは多々あり、

自分の一面や持ち味に気づく
機会にもなっている。



当時の私は
完成後のパズルを眺めては
余韻と達成感に浸り、
飽きると次のパズルを求めていた。


生活に
余裕があったわけでもなかったのに、
母親はパズルを買い与えてくれた。


今の私がいるのは、

子どもの頃から
私の好奇心を尊重し続けてくれた
母親のおかげでもある。



ところで、
なぜこの場で
パズルについて取りあげたのか。

理由はパズルの醍醐味と私の人生には
共通点があり、

その共通点が
この物語の要になっているからである。



ピース同士がつながり合っていくことで
少しずつ何かが見え始め、
やがて全体像が浮かび上がってくる。


ピースをひとつ手にとっただけでは、
その部分がどこにつながるのか、

また
何を意味するのかも分からない。




同様に物語も
歴史の積み重ねによって成り立っている。

ひとつひとつの出来事や思い出が
担っている役割や存在は、
とても大きい。

人生史を通して
日々、気づきをいただいていることに、
あらためて感謝したい。




さて、
父親のお通夜の日に
私は不思議な現象に遭遇した。

当時9歳だった私は
かなり混乱したと思う。

しかし
翌日にひかえていたお葬式には
予定通りに臨んだ。



私はその日、
生まれて初めて霊柩車というものを見た。

私の記憶に残っている風景は、
父親の遺体と家族を乗せた霊柩車を
自宅の前で見送っている場面である。


人数制限があったため
私は同乗することができなかった。



闘病中の父親の姿を見た時から、
私はありのままの父を
受け入れることができなくなり、

父の亡骸を見た時も
動揺していた。

それでも心の何処かでは、
最期の別れを名残惜しんでいたのだろうか…。



霊柩車を見送っている時に、
つまはじきにされたかのような
気持ちに駆られたのを、今でも覚えている。


ここで
もうひとつ事実がある。

それは
父親の死に目に会うことができなかったこと。


父親が亡くなった日、
家族の中でも私だけが「その場」にいなかった。


それも単なる偶然だったのか。
それとも必然だったのか…。


謎の現象が
父の魂だったと解釈するようになるまで、

それらの事実は
私の心に暗い影を落とすことになった。







つづく

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