七転び八起子👩

幼少期に父親と死別。看護師を辞めた後、15年ほど水商売でお世話になる。その間、大学に入…

七転び八起子👩

幼少期に父親と死別。看護師を辞めた後、15年ほど水商売でお世話になる。その間、大学に入り直し、長い受験生活を経た後に40歳で大学院修了。修了後、腎臓癌と不安障害を患う。45歳で公認心理師、臨床心理士の資格取得。術後6年目。HSP気質。

最近の記事

実録 私の可能性〜自分に学ぶ生き方のヒント〜26

🌷前回までのあらすじ🌷 幼少期に死別した父親に対し、 私は強い後悔と葛藤を抱えながら生きてきた。 しかし、 6年前に転機が訪れる。 きっかけはガンが見つかったこと。 死別後も続く親からの愛情にふれたことで、 過去を振り返る勇気が生まれ、 私は自分について学び始める…。 40年前。 父親が脳卒中で倒れ、 母は父の入院治療費と家族を守るために 昼夜働きに出る。 その頃から、 家庭内の空気が徐々に殺伐としたものになり、 私は自由を求めて寮付きの看護学校へ。 資格を取って

    • 実録 私の可能性〜自分に学ぶ生き方のヒント〜25

      仕事と恋愛は、 心を映し出す鏡であると私は思う。 求めることや期待することは 人それぞれであるが、 だからこそ その人の価値観が 浮き彫りにされるからである。 ところで、 鏡には、鏡ならではの特徴がある。 まず、 自分の姿を見るためには 立ち止まる必要があること。 夢中になり 動き回っていると、 姿を確認することができない。 また、 映し出されたものが全てではなく、 見えたものは 全体の一部であること。 そして、 自分を 映していたとしても、 鏡の向

      • 実録 私の可能性〜自分に学ぶ生き方のヒント〜24

        私は病院を辞める1年ほど前から、 転職について考え始めていた。 本音を言えば… 転職という名のもとに 「この時」も逃げ道を探していたのだ。 その反面、 せっかく取得した資格を このまま捨て去る勇気はなかった。 だから、 カタチを変えて活かしたいと思った。 進路に関する 情報を求め続けていたある日、 ひとつの選択肢が 目の前に飛び込んできた。 それは 大学へ編入学すること。   編入学とは、 学校を卒業した人が、 別の種類の学校へ途中年次から入ること。 私

        • 私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜23

          あなたは どんな言葉にふれてきましたか。 職場環境を変えたことで、 私は自分に期待をしていた。 けれども実際は… 新天地でもつまずいていたのである。 ミスばかりが目につき、 その度に萎縮し、怖気づいてしまう。 次第に苦手意識が強くなり、 心の中でのさばっていた。 最初からできる人なんて いないだろうし、 経験を積み重ねていくなかで 見えてくるものもある。 それでも 自分には無理だと思った。 おっちょこちょいだし、 すぐにテンパってしまう。   焦ると頭の中

        実録 私の可能性〜自分に学ぶ生き方のヒント〜26

          私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜22

          立場が変わると、 見える世界も変わる。 その時 人は何を学ぶのか。 「仕事から離れる時間を作り、  まずは休養をとりなさい。」 思うところがあったのか、 師長は私をすぐに 辞めさせようとしなかった。 続けて、 「辞めたいと思うのであれば  その後に考えれば良い。」と、 仰って くださったのである。 休養期間に入り 張り詰めていた気持ちがほぐれ始めた頃、 私の顔にある異変が起きた。 顔全体が まるで固まってしまったかのように 重たく感じられ、 感情を表に出

          私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜22

          私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜21

          ドラゴンクエスト、略してドラクエ。 子どもの頃に 私がハマりこんでいたゲームである。 ゲームの主人公は、 魔王を倒すため冒険に出かける。 最強の敵を倒すためには いつくかの課題をクリアしなければならない。 ・旅路に遭遇するモンスターをやっつけながら  自らの戦闘能力を高める。 ・仲間と出会う。 ・謎を解くことで道を切り開いていく。 ドラクエでは 魔王を倒すまでに数々のドラマが 盛り込まれており、 主人公にとって必要な人物と出会い、 必要な道具(アイテム)を手に

          私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜21

          私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜20

          約90%。 この数値は 当時の国家試験の合格率である。 数字だけを見ると、 難易度は それほど高くないように思える。 だからといって 簡単に合格できるというわけではない。 さらに言えば、 資格取得=天職とは限らない…。 最終学年ともなると、 実習や試験対策の他に 就職活動も始まる。 あの頃の私は 「中身」よりも「見た目」を重視しており、 現実よりも 理想や憧れに目が奪われていた。 見栄を張り 背伸びをすることで、 自分を 大きく見せようとしていた。 自分

          私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜20

          私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜19

          誰と過ごすのか。 この問いは、 心の充足率を底上げしたい時に 最も効果を発揮する。 世の中には 女子会と呼ばれるものがある。 以前の私は、 友達と過ごすことに 楽しみを見出していた。 けれども、 人とつるむことが 面倒臭くなっていった。 女子会に参加せずとも、 社会の中で 生きるということは、 少なからず 人とのつながりをもつことになる。 気づいた時には、 人に合わせようと 振る舞っている私がいた。 このパターンは 見事なまでに習慣化されていき、 「クセ」

          私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜19

          私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜18

          私にも 挫折の歴史がある。 最初の挫折は 20代の時に訪れた。 私の心は 根元から折れた。 気づいた時には 顔が能面のようになり、 表情をつくることが できなくなっていた。 あの時の私も、 とにかく逃げることばかりを 考えていた。 自分を傷つける全てのものから  距離を置きたいと思った。 ただ、 心の修復作業に それ相応の年月を費やしてきた一方で、 あらためて思うことがある。 たしかに あの頃の私は、 自分のなかにある「個性」に 気づくことなく、 不器用

          私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜18

          私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜17

          出逢いほど 私の人生に 彩りを与えてくれたものはない。 誰かに恋い焦がれ、 誰かに大切にされるという経験。 大切にされことで 初めて自分を 大切にしようと思えたあの日…。 私の出逢いは そこから始まった。 看護学校へ入学する前。 私は学費を貯めるために工場で働き始めた。 なぜ 製造業を 選んだのかといえば、 比較的 時給が高かった点と、 最寄り駅から工場まで 無料の送迎バスがついていたからである。 私にとっては好条件だった。 工場内部も比較的広く、 精密機器

          私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜17

          私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜16

          職業の選択には、 個人の歴史や生き方も映し出される。 なぜなら 業種や目的、働き方、収入など、 仕事に求める価値観は 人それぞれ異なるものだから。 自分について学ぶこと。 この視点は 私にとって価値あるものになっている。 さて。 私には転職の歴史がある。 20代の頃、 まず看護師になろうと思った。 なぜか? 理由は4つ。 子どもの頃に父親が病気で倒れ、 その後 長期に及ぶ入院生活を余儀なくされたから。 それから、 家族を養うために 苦労して働き続けてきた

          私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜16

          私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜15

          相談をするということは、 周囲が思うほど 簡単にできるものではない。 なぜなら、 最初の一歩を踏み出すためには、 心の準備や勇気を伴うからである。 それまで 家に帰りたくないと 思ったことはなかった。 けれども 問題は起きていた。 私はそのなかで育った。 ひとつひとつの出来事によって、 自分の心や体に どんな反応をきたしていたのか。 また 体験の積み重ねにより、 自分の体が どんな影響を受けてきたのか…。 あの頃を振り返ると 私なりに必死に生きていたと思うが、

          私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜15

          私の人生史〜実話に基づく自分との対話〜14

          境遇とは その人が置かれた状況を意味し、 人間関係や経済状況、 家庭環境なども含まれる。 境遇は 人格形成に少なからぬ影響力をもつ。 例えば どのような環境のもとに 生まれ育ったのか。 家族構成や 家族間の関係性といった点にも、 その人のルーツが 秘められているのかもしれない。 私は 末っ子として誕生した。 きょうだいがいること、 そして 末っ子として生まれたことは、 私の人生史に 影響力を持っていた。 子どもの頃の私は、 家庭内で不和が起きると よく泣い

          私の人生史〜実話に基づく自分との対話〜14

          私の人生史〜実話に基づく自分との対話〜13

          母親が 昼夜働き始めたのは、 父親が入院生活を 余儀なくされた頃からだった。 父親は不在となり、 母親は仕事へ駆り出されるように なったことで、 家庭環境は様変わりした。 平和で 穏やかだったその場所に、 少しずつ 暗雲が立ち込めるようになり、 家族の笑顔や団らんは 過去の遺物となった。 それでも 衣食住が確保され、 教育を 受けることができたのは、 身を粉にして働き続けた 母親のおかげである。 母親が なぜそこまでして 働かなければいけなかったのか。

          私の人生史〜実話に基づく自分との対話〜13

          私の人生史〜実話に基づく自分との対話〜12

          家族水入らずで過ごした数年間。 あの頃の 穏やかさに包まれたひとときを思い返すと、 私の心は一瞬にして和む。 幸せとは 何気ない日常のなかにある。 けれども 何気ない日常とは、 そうではなくなった時に 初めて気づくものなのかもしれない。 父親の命日は 偶然にも私の誕生月であった。 私はその翌年に 小学5年生になった。 それからの数年間 悲しみに打ちひしがれていると思いきや… 私はある意味 恵まれた時間を過ごしていた。 子どもの頃の私は 遊ぶことに楽しみを見出

          私の人生史〜実話に基づく自分との対話〜12

          私の人生史〜実話に基づく自分との対話〜⑪

          拾骨とは 火葬後に遺骨を箸で拾い上げ、 骨壺に納める儀式である。 箸を橋という言葉にかけて、 故人が三途の川を 無事に渡ることができるよう、 手助けをするという意味がある (小さなお葬式HPより引用)。 数時間前まで 棺の中に納められていた父の亡骸。 火葬炉から運ばれてきた時には 遺灰になっていた。 遺骨を見た時の衝撃は 計り知れなかった。 これが本当にお父さんの骨なのかと、 私は疑問に思った。

          私の人生史〜実話に基づく自分との対話〜⑪