私の人生史〜実話に基づく自分との対話〜13

母親が
昼夜働き始めたのは、

父親が入院生活を
余儀なくされた頃からだった。



父親は不在となり、

母親は仕事へ駆り出されるように
なったことで、

家庭環境は様変わりした。



平和で
穏やかだったその場所に、

少しずつ
暗雲が立ち込めるようになり、



家族の笑顔や団らんは
過去の遺物となった。



それでも
衣食住が確保され、

教育を
受けることができたのは、

身を粉にして働き続けた
母親のおかげである。



母親が
なぜそこまでして
働かなければいけなかったのか。

その切実な事情や緊迫感について、

子どもの頃の私は
理解していたわけではなかった。



けれども
母親の表情や言動から、

日々
切羽詰まるような何かを感じていた。



母親は
懸命に家族を養い、

精一杯の愛情を
私に注ぎ続けてくれた。



もし
母親と同じ立場に立たされたとしたら、

私はそれでも子ども達を愛し、
家族を守りたいと思えるのだろうか…。


私は
母親に宿る人間力と、

その中にある
無償の愛と呼ばれるものに、

畏敬の念を感じる。



ところで、

どの家庭にも
ひとつやふたつ「事情」というものが
あるだろう。



私の家族にも
いくつかの事情が例外なく存在し、

そのひとつひとつが
深い根を張っていた。


お互いの糸が絡まりあい、

身動きが取れないほどに
がんじがらめとなっていたため、

気づいた時には
糸が擦り切れそうになっていた。



十数年ほど前まで、

これらの問題は
我が家に限られた事情だと、
私は思っていた。



しかし
そうではなかった。



遡ること
今から十年以上前。

私はあることがきっかけで、
コトの重大さに気づいた。


そして
闘おうと思ったのである。



そもそも
私は負けん気の強いタイプではない。


親や学校の先生からは、
おとなしいとか
引っ込み思案などと言われてきた。



泣き虫で
言い返すこともできなかった私。



人はどんな時に
闘おうと思うのか。

その目的は
自分の為なのか。

それとも
大切な人を守るためなのか…。








つづく

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