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私のトリセツ〜実話に基づく自分との対話〜22

立場が変わると、
見える世界も変わる。

その時
人は何を学ぶのか。



「仕事から離れる時間を作り、
 まずは休養をとりなさい。」



思うところがあったのか、

師長は私をすぐに
辞めさせようとしなかった。



続けて、

「辞めたいと思うのであれば
 その後に考えれば良い。」と、

仰って
くださったのである。



休養期間に入り
張り詰めていた気持ちがほぐれ始めた頃、

私の顔にある異変が起きた。



顔全体が
まるで固まってしまったかのように
重たく感じられ、

感情を表に出すことが
しんどくなったのである。



気づいた時には
無症状になっていた。



明らかに
違和感はあったものの、

「無表情でいられること」が
次第に楽にもなり始めてきたので、

病院へ行こうとまでは
思わなかった。



   

最初の頃は何が起きているのか
検討もつかなかった。



けれども
日々を過ごしていく中で、

『きっと、
 心がすり減ってしまうほどの
ストレスを感じていたのだろう…。』

と、考えるようになった。



当時の私は
そんな風に解釈をすることで、

症状について
自分なりに納得していたのである。



休養後も
私の気持ちは変わらなかった。


その日、
ユニフォームを返却するために
私はロッカールームを訪れていた。



用事を済ませると、
逃げるようにして私はその場を立ち去った。



辞めていく姿を
誰にも見られたくないと思ったし、

情けない自分を
これ以上見続けたくなかったからである。



私は師長以外、

誰にも何も言わずに
その日をもって退職した。



自ら志願した部署。

仕事が続かず
大学病院を辞めたことは挫折となり、

私にとっては「汚点」になった。



しかし
20年後の未来に、

私は再び
戻ってくることになる。

患者として…。



異変については、

しばらくの間
居座り続けていたものの、

環境を変え
休養を取り入れたことで、

徐々に
その姿を消していった。



ちょうどその頃から、

私は次の職を探さなければと
考えるようになった。



仕事で求められる能力に
追いつくことさえできずにいたが、

看護師を辞めたいとまでは
思わなかった。

 

患者とほとんど接することなく
離職したことが、

心のなかで
くすぶり続けていたのだろうか。



あの頃の私は、

なぜか
患者と対話できる場を
心の何処かで求めていたのである。

 

自分の心に向き合うことを
避けた私が、

はたして
他人の心に向き合うことなど
できるのだろうか…。



私はその後
療養型病院へと再就職した。



つづく




療養型病院とは

慢性期(病状が安定している時期)の方や
治療よりも長期にわたる介護が必要な高齢者を対象とし、
医療ケアやリハビリテーション等の必要なサービスを提供する病床。
リハビリや医療ケアが手厚いのが特徴。



写真引用
https://www.town.shodoshima.lg.jp/kanko/iam_s/iam_s_sunset.html


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