加藤節雄

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加藤節雄のデボン通信ーはじめにー

 ロンドン、エジンバラと言った英国の都会は日本人にもよく知られているが、デボンとなると、知る人はほとんどいないと言ってよいであろう。もちろん英国に住んでいる日本人には馴染みがあると思うが、日本から観光旅行でデボンへ来る人は稀である。  デボンには豊かな自然とゆったりとして生活がある。そこにはロンドンの移民社会とは異なるイギリス人の営みがり、キリスト教のモラルに基づいた助け合いの精神が息づいている。  デボンは少数の市や町を除けばほとんどが田園地帯である。そんな田舎の村に住み始

    • 009 パブの食事がお薦め

       私が最初にロンドンに住みだした1970年には外食産業はあまり発達していなかった。レストランはあることはあったが、大体がインド料理か中国料理で、インド料理は水っぽいカレー、チャイニーズはチョップ・スイと相場が決まっていた。フィッシュ&チップスの店もあったが、もっぱらテーク・アウエー専門だった。パブはもちろんあちこちにあったが、食事を出すパブはほとんどなかった。高級レストランもあることはあったが、値段も馬鹿高く、格式ばっており、ちょっと立ち寄るという雰囲気ではなかった。  私は

      • 008 ショッピング

         わが家の周辺の歩ける距離内には店舗は一軒もない。一番近いモアトンハムステッドの町までは約1マイル強、大体2kmぐらいある。道路を歩いて行けば20分ぐらいで着けるが、狭い道路でその上歩道がないので危険である。車の通る道路とは別に自転車、歩行者専用の道路(Cycle Path)があるので、それを使うと歩いて30分ぐらいかかる。道路を車で行けばたった5分である。この町まで行けば、小さなスーパーから郵便局、ホテル、B&B、不動産屋、薬局、雑貨屋、肉屋、八百屋、カフェ、レストラン、イ

        • 007. 日本への興味

          私の住むデボンには、日本大使館や領事館もないし、ジャパン・ファンデーション、ジャパン・ハウス、大和ジャパンハウス、ジャパン・ソサエティーといった日本関係の公館や民間の日英交流機関は全くない。また、日本人の互恵組織である日本クラブや日本人会もないし、県人会や大学の同窓会も全然ない。日本企業がないのでそこで働く日本人もいないし、日本レストランも非日本人経営のチェーン店が大きな町に少しあるだけである。中国人経営で日本人シェフがやっているレストランが1軒あると聞いているが、ま

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        加藤節雄のデボン通信ーはじめにー

          006 ダートムア

           我が家はダートムア国立公園の中にある。国立公園の中にあるからと言って、特に住民税が高いとか、移動が制限されているということはない。ただ、家の窓枠の色を変えたり、建て増しをするためにはプランニング・パーミッション(建築許可)が必要だ。我が家の建物は約300年前にマナーハウスの納屋として建てらたもので、30年ぐらい前に住宅として売りに出された。前にも書いたが、大きな納屋を5軒に分けて売りに出し、買った人がそれぞれにインテリアを自分で決めて住めるようにした。内部はそれぞれに違うが

          006 ダートムア

          加藤節雄のデボン通信

          005 ブルーベルの森 我が家の庭に先にある小川に架かる橋を越えて羊のいるメドーを更に超えて行くと裏山に出る。山と言っても丘のようなもので、ここは森になっており、細いフットパス(遊歩道)が通っている。この森はダートムア国立公園一部であり、森のメンテナンスは国立公園事務所が管理している。管理と言っても別に建物が建っているわけでもなく、危ない場所があるわけでもないので、時々倒れた木の片付けとか小径に生い茂るシダやブラックベリーの整理ぐらいで、あとは放ったらかしのままである。

          加藤節雄のデボン通信

          004 羊に囲まれて

          我が家の近所はほとんどが牧場である。牧場と言っても牛とか馬ではなく、ほとんどが羊だ。我が家の庭の先の小川の反対側にも羊の牧場がある。農家は囲いのある牧場をたくさん持っており、羊が一つの牧場の草を食べ終わると、別の牧場へと移す。そして草が生えそろった頃にまた羊を戻す。こういったローテーションを繰り返すため、牧場が数か所必要となる。よく空き地の様になった牧草地を見かけるが、これは草が生えるのを待っているのであって、決して空き地という訳ではない。  ダートムア丘陵地帯を背景にど

          004 羊に囲まれて

          003. 隣人たち

           デボンの生活が始まった。2012年8月のことである。我々はロンドンの家もそのままにしているので、家財道具は一切持ってこなかった。そのためフライパンやソースパンを始め、料理道具一式、テーブルや椅子を揃えなければならなかった。前のオーナーがAGAだけを置いて行った。重すぎて運べないのである。  AGAはスエーデン製のクッカーで、熱盤によるフライパンや鍋の料理から、オーブン料理、お湯作りまで1台で賄う優れもので、我が家のものは50年ぐらい経っているアンティークであるが、十分に使

          003. 隣人たち

          加藤節雄のデボン通信

          002.ハウス・ハンティング 私はデボンに住む条件の一つとして、ロンドンの家も残し、必要な時には帰れるようにした。何しろ50年住んだ町である。仕事がらみの人や友達、日本人コミュニティー等、一挙に切り捨てるわけにはいかない。定期的な仕事からは引退したものの、まだ友人がたくさんいるし、そんな簡単に「ハイ、サヨウナラ!」とはいかない。  しかも、田舎の生活は初めてである。そこには何が待っているのか、何をしなければならないのか、何をしてはいけなのか、友達が出来るのか、人種差別はないの

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          001.ロンドン脱出

           デボンは英国の大ブリテン島の西南端に近い位置にある。ロンドンからは約230マイル(360Km)、さらに先に行けばコーンウォールとなり、その先は大西洋、さらに先に進めばアメリカ大陸となる。  英国は日本の様にたくさんの地方自治体から成り立っている。日本では県に相当する自治体が英国ではカウンティー(County)と呼ばれる。デボンもコーンウォールもカウンティーである。時々カウンティーのことをシャー(Shire)と呼ぶこともあり、デボンシャーとか、ヨークシャーと呼ばれる。日本の

          001.ロンドン脱出