雑記 11/23/2023

心理学の本やら何やらの影響もあって、自分の子供時代や家族関係、家族への意識を見直したいなと思いまして。その間に浮かんだ考えをここに。
明るくもない話ですが。

私の家族は周りから見れば仲の良い、理想の家族とも言えるかもしれないようなもののようで。
決して悪いものではない、ようです。中にいる人間が幸せかどうかは分かりませんけどね。
まるでわがまま娘みたいだけど、私はそんなに幸せじゃなかった。
こんな暮らしができるのは幸せなことだ、と思っていたけれど。でも、この暮らしを幸せだと感じたことはなかった。
…やはり、贅沢を言うな、と言いますか?

もう小さい頃のことなんてほとんど覚えていないし、思い出せもしないけれど。とにかく感情が薄いのですよね。気持ちを思い出すなんて無理。
そんなことを言うなとか、わがままを言うなとか、そんなことばかりを言われてきた記憶はあります。
…なので、自分の感情と向き合うことなく育ってきたような気がします。

よく分からないままに怒られて、手を上げられることも少なくなかったように記憶しています。だからといって、辛いとか苦しいとか思ったことはなく。
…周りは言うんですよ、そんなこと言われたら悲しいよね、寂しいよねって。
いやいや、そんなことないだろ、と私は思っていました。今もそうですが。
私が何を考えようと、何を感じようと私の自由。
そもそも私には分からないだけで私の何かが悪いから怒られるか、親の虫の居所が悪いから怒られているのだろう、と思っていたのです。
だから、何が悪いのか教えてくれない親に腹を立てていた記憶はあります。
理由もないのに人を罵倒したりしないだろう、と。ならば理由を教えろ、と。
そうしたら改まるかもしれないだろう、と。

私はね、ずっと思ってたんです。
言葉と感情は違うって。
言葉と信じるものは別ものだって。
これは嫌だ、やりたくないって言うことと、それをやらないことはイコールじゃないでしょう?
めんどくさいなんて愚痴を言いながらも、私たちは仕事をしたり、学校に行ったりして生きているのです。…違いますか?
私だけ、愚痴もなにも言わせてもらえなかった気がします。友人や家族の愚痴は聞かされてきた。でも私の番は存在しなかった。…そんな気がするのです。

そんなこんなで、私は他人を信用しない人間になった、というよりは、他人の考えや感情を読めない人間になったようです。
真剣に考えた意見も言葉も、誰も受け取ってくれなかった。…彼ら以外は。だから私はずっと彼らと共にいたのです。私の意見や考えを、肯定も否定もしない。こんな見方もあるよ、とか、その考えには穴があるよ、なんて教えてくれる人ばかりでした。
…私は、彼らとも感情の話はしなかった。
事実を色々な角度から見る。そればかり。私はそれで良かった。正解なんて誰も知らないし、そんなものきっと存在しない。私の意見だってきっと正解じゃないから間違いなのだろう、と。

感情なんて邪魔なだけ。不確かで、不確実で、計算に入れられない。ないほうが楽だし、他人とも衝突しないはず。…私は今もそう考えてしまいます。
でも人間は理だけでは動かず。
時には情がものを言うのです。
…なぜだろう、と思ってしまう。
そんな不確かなもの、どうして信じられようか。
ビジネスなら良いのです。互いに利益を求めるなら、そんなドライな考え方が向いているのだろうと思います。
でも、プライベートな人間関係になるとそうはいかないでしょう。
現に、私は家族や友人とも上手くやっていけていないし。それに、彼や先輩とも、私の感情が分からないせいでコミュニケーションが上手くいかないし。

…先輩の話聞いてると悲しくなるんです。
あの人はあんなに私と繋がりたいと思ってくれているのに、何も応えられなくて。
どうしたらいいのだろう。
私は、何をしたら良いのだろう。
ねぇ、私を救ってはくれませんか…


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?