言葉で人に伝えた時点で、それはもう私の気持ちでは無いのかもしれない。
昔、(5歳くらいの時)"私"という一人称を使うことにほんの少し恐怖心がありました。なので、普通に自分のことを名指しで過ごしていました。(小さい子にはよくあると思う)
なぜ、自分のことを"私"と呼ぶことが怖かったのかというと…。
「"私"って誰のことを指しているのか分からない。"私"って呼んだら、自分がなんか無くなる感覚がして怖い…」
っていう心境でした。
私は、人に自分が分からないことを聞くのが苦手で、自分の気持ちに疎いし、感情をあまり表情に出しません。言語化出来ないものは、いつも心の中にあります。
言葉に言い表すことの出来ない感情は、言葉にしようとするとそれは人間にとっての共通言語だからきっと一般化されて私じゃなくなるから、違和感を感じてしまうのかなぁとか…考えたりします。
言語化できても、結局は表面上で、人と人同士を繋ぐあくまでもシグナルなのかなって。そこで、もっと深い意味合いで相手に「共感してます」を表すノンバーバルなコミュニケーションがきっと登場\( ´・ω・`)┐しゅたっ
…するんだと思います。
でも……やっぱり分からんなぁ…(思考停止)
(思考停止した内容↓)
ノンバーバルコミュニケーションで私はこう思っていますというふうに相手に伝えることもあるしそれって、常識とかなんか暗黙の了解みたいなルールのもとで行っているよね?相手に伝えているのは一般的な気持ちであって、結局は言語と同じ表面上のシグナル…。
…。やっぱり、誰しも悩みを抱え、人間関係が上手くいかなかったりするのは、、、
暗黙のルールや常識があるからなのかな。
でも、人間は誰かトップがいないと生きていけないから、ルールがなきゃ統率出来ない。それが摂理。
そして群れる生き物としての運命ということ…?
私は、思った。人類の歴史は浅い。本でも読んだけど、地球がこのままの状態で続く筈がない。だから、孤独に強い人、痛みに鈍感な人(怪我)、、、。
色んな人がいて、今では社会に適応するのが難しいけど、これから先の地球で生き延びるための手段としてうまれてきた…という考え方はなるほどなと思いますね。
話がだいぶ逸れましたが、未知未知の道道ですね。みちみちのみちみち
では(以上)
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